本日は城の日です。兵庫県姫路市が平成3年に、日本三大名城の一つ姫路城を中心とした市の復興の為に制定。「し(4)ろ(6)」の語呂合わせ。姫路城は、1333(元弘3)年に赤松則村によって築かれた。西国統治の重要拠点として羽柴秀吉・池田輝政・本多忠政が城を拡張し、現在の形になったのは1619年。五層六階の大天守と三つの小天守があり、その形から白鷺城とも呼ばれる。1912(大正元)年に国宝に、平成5年世界文化遺産に指定。
平成23年2月27日、旅行で姫路に行っています。その折には姫路城は改修工事中で、設計図面のようなものが壁に描かれていました。隠れていない状態だったらば、まだ山陽新幹線の車内からしか見たことがないです。また、名前は伏せますが、姫路市出身なのに某女性有名人には姫路城に入ったことがないというのがいます。
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本日は新聞をヨム日です。日本新聞協会販売委員会が平成15年制定。「よ(4)む(6)」の語呂合わせ。 4月は転勤や入学等で引越しが多いことから、「これを機会に新聞を読み始めませんか」というキャンペーンが行われる。
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本日は北極の日です。1909年、アメリカ海軍の軍人ロバート・ピアリーが、世界で初めて北極点に到達。
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本日はコンビーフの日です。明治8年、コンビーフの台形の缶が特許登録。中に肉が詰めやすいよう工夫され、独特の台形の形に。
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かつて「ノザキのコンビーフ」はテレビやラジオCMも積極的に実施し、知名度向上と幅広い層への認知拡大に成功したといい、高度成長期の昭和30年代21世紀初頭まではJR東日本(旧国鉄)の送電線の鉄塔や首都圏(山手線・中央線・京浜東北線沿線など)の電柱に365枚の「ノザキのコンビーフ」の看板があった。近年では電柱取り替えもあったため、すっかり姿を消してしまったが是非戻ってきて貰いたく、今もノザキのコンビーフはコンビニなどで売っている。現在は川商フーズが製造販売。「ノザキ」とは、かつて存在していた野崎産業のことで、合併や分社化等を経て現在はJFEグループの川商フーズとなってもブランド名が変わらない。川商フーズは、缶詰製品や水産物、加工食品等の仕入れ、製造、加工、販売を行うJFE商事ホールディングス傘下の企業。第3のビール「プライムドラフト」も販売。平成16年10月1日に会社分割で川鉄商事の食品部門が独立し、会社発足。平成19年4月1日、子会社の川商食品株式会社を合併。製鉄会社の関連企業とは意外。
本日は白の日です。「し(4)ろ(6)」の語呂合わせ。
そのほかの出来事
紀元前46年 ユリウス・カエサルがタプススの戦いで元老院派の軍を破る
221年 劉備が皇帝に即位。蜀が成立
1320年 スコットランドでアーブロース宣言を採択、イングランドからの独立がほぼ成る
1789年 ジョージ・ワシントンをアメリカ合衆国初代大統領に選出
1868年 五箇条の御誓文
1882年 岐阜事件、板垣退助自由党党首が遊説中に暴漢に襲われる
1896年 4月15日まで第1回近代オリンピック(アテネオリンピック)開催。
1917年 第一次世界大戦でアメリカ合衆国がドイツに対して宣戦布告
1919年 インドで反英運動を取締る法律が施行。ガンジーがこれに抵抗して非暴力・不服従運動を開始
1924年 イタリア総選挙でファシスト党が勝利
1931年 東京放送局(現NHK)がラジオ第二放送開始
1937年 理化学研究所が粒子加速器・サイクロトロン完成
1938年 「電力管理法」公布。電力が国家管理に。
1941年 イタリアがエチオピア陥落
1946年 満洲からの初の集団引揚げ船が博多に入港
1955年 ニューデリーでアジア諸国民会議開催。平和五原則確認
1955年 最高裁が、帝銀事件の平沢貞通被告の上告を棄却する判決。5月7日死刑確定。
1964年 人形劇「ひょっこりひょうたん島」放送開始
1968年 ニューヨークでスタンリー・キューブリック監督の映画「2001年宇宙の旅」公開
1968年 宮城まり子が静岡県小笠郡浜岡町(現御前崎市)に肢体不自由児の養護施設「ねむの木学園」を開く
1968年 神戸高速線開業で山陽電鉄兵庫-西代間2.2km廃止。
1975年 「パネルクイズ アタック25」放送開始
1978年 池袋に60階建の高層ビル「サンシャイン60」開館。高さ239.7mで当時日本一。
1982年 山下達郎と竹内まりやが結婚。
1990年 大英博物館に、日本の美術品などを常設展示する「日本ギャラリー」開設
1991年 イタリアサッカー懲罰委員会が、コカイン使用が判明したディエゴ・マラドーナに15か月出場停止
1991年 国連安保理が湾岸戦争の正式停戦承認
1999年 この日初めて、外国産クワガタムシ第1号のニジイロクワガタが他の外国産クワガタムシに先駆けて日本に輸入。
1999年 ロンドンでミュージカル「マンマ・ミーア!」初演。
2002年 多くの公立小・中学校、高等学校にて学校週5日制を適用。
2004年 リトアニアでロランダス・パクサス大統領の弾劾が成立し、辞任。
2004年 この年メジャー移籍した松井稼頭央(当時ニューヨーク・メッツ)がアトランタ・ブレーブス戦でメジャー史上初の開幕戦・新人・初打席・初球本塁打。
2009年 ラクイラ地震
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「アタック25」放送開始にあたっては、朝日放送の某担当者が子供にオセロゲームを買ったことを思い出し、「このオセロゲームを使ったテレビ番組はどうだろう」と言ったのがこの企画が生まれる発端。次に放送時間内にクイズを答えて全面が埋まり、面を最も多く獲得した解答者が海外旅行を賭けたクイズに挑戦と仮定しら面の数は何枚がいいか試行錯誤の末に出した結論が25枚。企画段階では最終的に獲得した面の数と別に、クイズの正解数に応じて賞金を出すという案もあったが、あくまで「面数」に拘り、面数が「アタック25」最大の売りとしてプロデューサーが一蹴し、使用する面には赤、緑、白、青という「色」を使うため、まだ一般家庭の半数が白黒テレビだったこともあり、この企画には社内やスポンサーからが難色を示したというが、プロデューサーは「将来テレビはすべてカラーになる」と説得して回って実現させ、初代プロデューサーの三上泰生氏は自らの著書「6chは上方文化や」の中で「人生、非情なものだ。この非情さをクイズで表現したかった」と記した。
「アタック25」は、パワフル、臨機応変で尚且つ速度感溢れたキレある進行振りが好評だったため、この番組抜きに故児玉氏を語れない程で、アタックチャンス前の休憩中には出場者と観客に飴玉を配り、緊張している一般出場者をリラックスさせる役目もあり、中には「とにかく最後まで一人でも多くの人に楽しんで貰い、とにかく思い出を作って貰いたい」という願いを込めていた。人はこの飴を「児玉飴」と称し、記念に持ち帰る者までいたという。
解答者が正解したら「正解」と口走ることなく、「結構!」か「その通り!」が大きな特徴だったが、平成19年6月頃から「正解!」とも言うように。これは「博多華丸が児玉の物真似をするようになり、執拗に「結構」を連発するようになったのを意識し、それを言い続けると、逆に自分がそれを真似ているのかもしれないという思いで変更した」と、フジテレビ系列「森田一義アワー 笑っていいとも!」で平成19年9月5日のテレフォンショッキングにゲスト出演した際に語った(児玉氏を紹介したのは岩佐真悠子ちゃん)。博多華丸くんは「アタック」で共演しており、「もういいよ」といわれたという。そして、彼の死によって彼の物まねは暫く封印ということにしていたが、女装のコーナー(同じ福岡県出身なのか、浜崎あゆみ風に変身)では写真でヒントとして「アタックチャンス」のネタを披露していた。当然ながら感謝も忘れていない。
昭和59年と平成23年に病気で休んでいたのを除き「アタック」は36年もの長きに渡り司会を続け、現在では朝日放送アナの浦川泰幸くんが二代目司会に。過去の実績から代役を任されたのだが、その折には足が震えていたという。視聴者の一人として何度も見ていたため司会は簡単だと思って臨むと、実際には逆に細かな段取りなど難しい面が多々あったといい、後に見舞いの折に故児玉氏に相談すると病床では「自分なりのアタックでいいんだよ」と助言されたという。テレビを見て浦川君の物真似もしていたといい、最期はこちらを楽しんでくれていたと思う。
故児玉氏と「龍馬伝」で共演した福山雅治氏は「東京の父」と位置づけ、見舞いにまで行った。その折には長崎名物の琵琶ゼリーを持って行き、三個程度元気に食していたという。故児玉氏からは「まだ結婚はしないのかね?」と聞かれたと、平成23年5月22日に放送された朝日放送の追悼番組「さようなら 児玉清さん」(通常のクイズ形式で放送予定だったのを潰して内容を切り替えたもの)で話していた。
悔やまれてならないのは、胃カメラの拒否や大の病院嫌い、仕事が大好きで検査をしなかったことで、胃カメラ拒否を後悔していたといい、「不可思議探偵団」(日テレ系)で紹介されたようなカプセル型カメラさえあればと思えてならなかった。受けるには、保険が利かず、一回につき七万程度するが、やる価値はある。自分なら絶対に拒否しないと誓った。
日テレの「ワーズハウスへようこそ」は、代役として草刈民代さんが出演。タイトルコールも変化。居なくなると「ドイツへ出張」としていた(現時点では放送をまだ終えていない)。
故児玉氏は「アッコにおまかせ!」(TBS系)にも出演したことが昭和63年にある(余談だが、当時は番組名が同じでも内容が大きく異なり、ゲストとのトークと地方で出張クイズが主体で、当時の「アッコにおまかせ!」なら好きでよく見ていた)。番組では故児玉氏が和田アキ子さんをモデルにした切り絵を贈った。和田さんのことを気に入っていたらしく、和田さんは故児玉氏から贈られた切り絵のことを覚えていたが、どこに今あるか忘れたらしい。
病床には、すぐ切り絵ができるように道具一式も置かれていたという。芸術への造詣も深く、個展も開いていた程。毎年カレンダーにもなっていて、今年のも作るつもりだったが、彼の死で幻に。代わりに過去の作品を厳選した上で今年のを制作して販売。切り絵には外国の雑誌のページまで使用していた。
大の本好きでもあり、外国の本は翻訳されぬうちに読んでおきたいという程だったという。最近まで放送されていた「週間ブックレビュー」に出演していたのはこのため。
さらには「徹子の部屋」(テレ朝系)にも出演。黒柳徹子さんとは同学年で、大橋巨泉氏とも同学年であり、「クイズダービー」(TBS系)のゲスト解答者にもなった。平成23年5月20日にご逝去された長門裕之氏も同学年。
石坂浩二氏は、故児玉氏とはTBSのホームドラマ「ありがとう」以来のお付き合い。前記した「さようなら 児玉清さん」で想い出を語った際「あれだけ自分のことを見てたのに、病気だけはちゃんと見なかったのか、、、我々だけでも病院に入れるとかすればよかった」と述べた。実は石坂氏も直腸癌にかかったことがある。番組では昭和50年7月27日に放送されていた「アタック」でのゲスト大会に解答者として出演した思い出話もあり、トップ賞を獲得し、旅行獲得をかけた最終問題も見事に正解してしまった。余談ながら、当時の模様は静止画でしか紹介されておらず、映像が残存していないとも言われている。当時はビデオテープ一本を買うにもまだまだ高額だったため。
平成23年5月16日月曜日に故児玉氏は胃癌で死去。4月か5月頭に退院して「アタック」復帰ができるとされたが、体調が戻らず、5日前に無期限休養を決めた矢先だった。高齢なのに無理が祟ったか?
故児玉氏は奥様より年下。年上の奥様より死去が先で、平成14年には既婚で子供までいた娘を36歳の若さで、胃癌で亡くした。
自分も物心付いた頃から児玉さんは御馴染み。以前朝日放送で放送していた「霊感ヤマカン第六感」にも解答者として出演し、俳優としてはTBSの「ありがとう」等にも出演していたが、自分は俳優より「アタック」の司会者という印象が強く、日テレで不定期に土曜の夕方近くに放送されていた東京都の広報番組「スペシャルとうきょう」のメインとしても活躍。一時は俳優としての活動に消極的だったようだが、「HERO」(フジ系)出演以来が舞い込むと、一度は嫌がるも、生前の頃マネージャーでもあった娘の助言で快諾。
平成23年は「龍馬伝」(NHK)や「ワーズハウスへようこそ」(日テレ)にも元気に出演していたため、ここまで早く他界とは思わなかった。