本日は食堂車の日です。1899年のこの日、山陽鉄道京都-三田尻(現防府)で日本初の食堂車が走った。一等と二等の乗客専用で献立は洋食だけだった。
食堂車とは客車の一種で、広義には車内に調理を含む供食設備がある車両。特種用途自動車のうち、食堂車と例示される自動車もあるが、前記の列車の食堂車と紛らわしいことから一般的には食品調理加工販売車や移動販売車等という呼称が多い。辞書で「食堂車」の意味を調べてみると「飲食物を提供する設備を持つ客車」とされ、これでは売店がある車両も食堂車と言ってしまうが、言わない。「食堂」の意味を調べると「食事をするよう設備された部屋・ダイニングルーム」、「色々な料理を出して客に食事させる店」となる。南アフリカの「ロボスレイル」なら一両丸ごと厨房の「キッチンカー」もある。
食堂車は当初、瀬戸内海航路への対抗と共に1等車の付随施設の側面が大きく、この車両は、山陽1227-1229号で、国有後のホイシ9180形と考えられている。官鉄(国鉄)では1901年12月15日に、日本鉄道では1903年に導入。当時は1・2等車の客しか使えなかった。関西鉄道、讃岐鉄道、成田鉄道もであるが、これは3等車の客には当時行儀の悪い者が多かったため1・2等客に不愉快な気持ちを抱かせないようにする配慮や本来の座席より良い車両で漫然と時間を過ごさないようにするためとされ、その後は1903年10月から山陽では閑散時間帯に3等客への部分開放を行ったが、3等車から1・2等車内を通って食堂車への移動を禁じられ、停車中に車両外移動と身なりを整えることが求められたといい、鉄道院でも1919年8月から一部食堂車に改造を加え、あるいはその連結位置を変更して列車全体の旅客に開放し、食堂車を挟んで1・2二等車と3等車を分ける施策は戦後初期まで続いた。当初は上級旅客の利用が前提だったことや和食より洋食が調理加工の幅が単純であるため、どの食堂車もいわゆる洋食を専門に供給していた「洋食堂車」となっていたが、1901年より第二次大戦前にかけ大衆化が進んだこともあり、一部列車で洋食とは逆に「和食堂車」も現れた。例として昭和4年に愛称が付けられた特急「富士」は1・2等車だけで編成された関係で洋食を給していたが、3等車(現普通車)だけだった「櫻」(さくら)では和食を給し、昭和9年以降は洋食を提供する食堂車は「富士」・昭和5年運転開始の「燕」・山陽線京都-下関間で1等展望車連結の急行7・8列車・東京-神戸間1・2等車のみの急行17・18列車・昭和12年運転開始の「鷗」だけとなり、他はすべて和食堂車。
大戦前は特別急行・急行列車に限らず山陽・東北・日光・参宮・日豊・根室線等の準急や普通にも和食堂車があったが、在来線では1970年代以降は食堂車の営業休止や不連結が多くなり、衰退。多数の要員確保の必要性から昭和49年始め頃から在来線特急、特に寝台特急で食堂営業休止が続発。この背景には通常の飲食店と異なり、利用が限られることによる回転悪化、自由席代わりに麦酒や珈琲1杯で長時間占領する道徳の悪さが目立ってきたこと、昼行特急増発や新幹線との連携、長距離移動での航空機利用一般化で夜行列車の需要が長距離でも減退、夜行列車自体の運行区間短縮や効率化のため相対的な内容低下、新幹線を含む昼行特急増発による特急列車の一般化や時間短縮等による乗車時間短縮、比較的高価でな食堂車での食事の必要性の減少、昭和50年代後半からコンビニ等での弁当販売普及やファストフードチェーン店の台頭等による食習慣の変化、ファストフード店のメニューやコンビニ弁当は食堂車のメニューや駅弁と比べて安価であること(現在は車販や駅弁業者撤退にも影響)、昭和47年に発生した北陸トンネル火災事故の出火原因が当初は食堂車の石炭焜炉とされたため(後に出火原因は電気暖房関連の電気配線からの漏電と判明)裸火での調理が禁止となり、電気レンジがない旧型食堂車は必然的に使えなくなったこと、国鉄の財政難で廃車となった旧型車の代替車両製造が予算的に困難になったこと、食堂事業者の人員(特に女子従業員の)確保が難しくなったこと、給与水準が安い割に労働条件が厳しかったこと、労働条件が通常の食堂と異なり、常に揺れ厨房が狭く、専門化されアラカルトメニューの豊富さを賄えず、事業者側も利用率減少でそれに対するノウハウを伝える様な教育制度がなかったこと、相次ぐ特急増発で食堂車営業列車が急激に増え、人員面に余裕がないことから特急と急行(ビュフェも含む)が共存していた路線では特急の食堂営業だけにする傾向が強まったこと等がある。極端な例では客が多くて、運営面でも黒字ながら、国鉄による車両運用合理化という事情だけで一方的に編成から外されて廃止に追い込まれた場合も。昭和60年3月14日改正で食堂車の連結を終えた特急「雷鳥」、「白山」などがその例で、かわりに昭和60年には「雷鳥」に和式グリーン車「だんらん」(サロ481形500番台)が登場。サシ481の改造車で、旧調理室はビュフェとし、軽食類提供を行うという新施策の提案がされたが、平成元年の「スーパー雷鳥」登場時に和式グリーン車自体が廃止されたため当該車両は一部廃車、一部が通常座席のサロ481形2000番台に改造されビュフェ部分はラウンジになり、小規模ながら「サンダーバード」登場後の平成7年11月までビュフェと売店として営業し、以後は車販基地。この概念は「白山」に連結されたラウンジ&コンビニエンスカーでカレーライスや弁当類などの軽食を電子レンジで暖めて販売する形に。
在来線ではビュフェ車連結の電車急行は昭和51年11月に中央東線の「アルプス」や信越線の「信州」、「妙高」を最後に廃止、食堂車連結の昼行特急は昭和60年11月の「おおとり」、「オホーツク」を最後に廃止。だが一方で昭和56年にはキハ183系気動車のキロ182の車内の一部を長距離客に配慮して0系新幹線のビュフェ車と同様の厨房がある車販準備室兼売店にしたが、分割民営化後は車内で調理しなくなった。食堂車の連結を要望されたためでもあるが、山陰地区で余っていたキサシ180を北海道に転用する案もあったらしい。
JRや国鉄以外で初の食堂車は南海にあり、電化前の1906年に一等・喫茶室の合造客車を造り、大阪-和歌山間の急行に連結されて1日2往復で運転開始。1917年に廃車となったが、電化後の1924年に登場した電7系に日本の電車で初となる食堂車の電付6形が造られ、手荷物室や特別室、本格的な厨房を備えた食堂の合造車だったため「クイシニ」と俗称。
戦後に国鉄やJRの車両と同じ例として本格的食堂車を製造したのは伊豆急行サシ191だけ。昭和39年にサントリーが後塵を拝していた麦酒事業の梃入れと観光地での広告を兼ね、「10年間は食堂車で車内でサントリー製品を販売」という契約で伊豆急に贈与という形で登場。食堂車と称しているが、運転距離と乗車時間が短いため車内で本格的な食事が供される機会が少なく、ビアガーデンに似た営業形態(他社は供食設備やメニューも茶菓や軽食中心)。スウェーデン語やデンマーク語等で乾杯という意のスコールに因み「スコールカー」と命名。デビュー当初は話題になったが、当時国鉄が「あまぎ」などに伊東線-伊豆急線乗り入れ列車に食堂車がなかったため、伊東線乗り入れを嫌がり、伊豆急線内のみの営業。後年には伊東線へ乗り入れはしたが、食堂車は伊東線内営業休止だったため収益が上がらず、次第に存在意義が薄れ、結局は営業自体も早期中止となり、不使用のまま伊豆稲取の側線に置かれ、契約の切れた昭和49年に普通車のサハ190形に改造され、平成16年廃車。「今となっては時代を先取りしすぎた」とも言われている。

その他は小田急ロマンスカー(写真)や近鉄特急にあったスナックカーでの調理室で電子レンジで加熱した軽食を座席まで運ぶ方式が主流で、東武100系スペーシアはビュフェがあっても始発駅発車直後に担当者が各座席に献立を配り、乗客が購入に出向く売店形式。ただし、これらも通勤時間帯や短距離列車の例も多く、一部列車では担当者の帰宅や出勤など人員の確保問題等が優先で、物品の補充問題などの理由にで営業されない例も多く、人件費などの問題から食事を配ることが平成7年に廃止され、現在は列車発車直後に献立を配り、希望者はビュフェに出向いて買う形式に。
小田急では運営は日東紅茶が昭和23年に1910形で特急運転再開時から「走る喫茶室」の愛称で行い、森永エンゼルも昭和43年から参入。昭和10年の「週末温泉急行」運行で茶菓が車内販売されたが、戦中に列車と共に廃止。小田急も通勤や通学、買物客の利用が主体となり、注文を受けてから提供まで時間がかかる「走る喫茶室」の内容が実態からかけ離れため利用客が減少し、30000形「EXE」の増備で3100形「NSE」が廃車になったことや、同時に扉の開閉要員だった要員減少などもあった。
これらで車販が代替することになったが「ロマンスカー復権」を合い言葉に平成17年デビューした50000形「VSE」ではシートサービスが復活。厨房設備としては冷蔵庫や珈琲メーカー、麦酒サーバーなどがあるが、焜炉等固形物を加熱調理できるものはない。
東武では戦前に展望車「トク500形」に供食設備を備えさせ、最後尾に連結したことが起源。第二次大戦激化で列車自体が廃止されたが、戦後は5700系や1700系の売店で茶菓販売再開。固定編成の1720系DRCで本格的なビュフェを初採用。
食堂車ではないが、本来供食設備がない車両で事前に利用者を募集し、運行中の列車内で食事、飲料、酒類などを提供する行事もあり、夏期開催の「納涼麦酒列車」などは路面電車にもある。
茨城県の鹿島臨海とひたちなか海浜(写真)では平成22年3月21日-22日の2日間、西武では平成22年12月11日に「メイドトレイン」を運行。これは秋葉原などにあるいわゆるメイド喫茶を列車内で行うという試みで、鹿島臨海では7000系「マリンライナーはまなす」、ひたちなか海浜では旧型気動車、西武では10000系レッドアローを使って開催。車両には特別な改造や形式変更もなく、あくまで車販として行われたが、「マリンライナーはまなす」では麦酒サーバーも設置し、生麦酒も販売。車販のワゴンはJR西日本の特急「やくも」で使っていたものの譲渡品。岐阜県の明知鐵道ではイベント列車としてロングシート車に机を置いて車内で食事を提供する試みが行われているが、平成22年3月からは定期急行「大正ロマン号」の下り(明智行)列車だけイベント用車両を増結した上でこの車両を「食堂車」と称している。利用には事前予約が必要。

小湊鐵道(写真)には懐石料理列車もある。
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本日はアフリカデーです。1963年のこの日、アフリカ統一機構(OAU・現アフリカ連合・AU)発足。
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主婦休みの日です。生活情報紙「リビング新聞」が2009年に制定。 日頃家事を主に担当している主婦がリフレッシュをする日。読者のアンケートで1月25日・5月25日・9月25日を「主婦休みの日」とした。
本日は有無の日です。第62代天皇・村上天皇の967(康保4)年の忌日。村上天皇は急な事件のほかは政治を行わなかったことから。
本日は広辞苑記念日です。昭和30年のこの日、岩波書店の国語辞典「広辞苑」初版発行。
本日はタップダンスの日(アメリカ)です。1988年9月に米国議会に提出され、1989年11月にブッシュ大統領が署名した法律により制定。「タップの神様」と呼ばれたビル・ボージャングル・ロビンソンの誕生日。
本日は独立記念日(ヨルダン)です。1946年のこの日、ヨルダンがイギリスの国連委任統治領から独立。
本日は五月革命記念日(アルゼンチン)です。1810年のこの日、アルゼンチンでスペインからの解放を求める「五月革命」が起こった。7月9日はアルゼンチン独立宣言の日。
そのほかの出来事
723年 養老七年格(のちの三世一身法)発布
1170年 奥州の藤原秀衡が朝廷から鎮守府将軍に任命
1333年 北朝の光厳天皇が南朝の後醍醐天皇に譲位し一旦南北朝が合一。翌年8月に北朝の光明天皇が即位し再び南北朝分離
1336年 湊川の戦い。足利尊氏が楠木正成を破る。正成は一族とともに自害。
1660年 チャールズ2世がフランスからロンドンに帰り王政復古なる
1787年 フィラデルフィアで憲法制定会議開催
1816年 アルゼンチンがスペインからラプラタ連邦として独立
1876年 青森県二戸郡・宮城県気仙郡を岩手県へ移管。岩手県・青森県の県域確定。
1884年 官鉄関ヶ原-大垣間開業
1887年 福島県東蒲原郡を新潟県に移管。福島県・新潟県の県域が現在の形に
1892年 東京馬車鉄道が日本初の学生割引切符発売
1895年 台湾島民が叛乱、台湾民主国を宣言。6月7日に日本軍が台北を占拠し台湾を植民地化。
1810年 アルゼンチン(当時はリオ・デ・ラ・プラタ副王領)のブエノス・アイレスで五月革命
1899年 阪鶴鉄道篠山(現篠山口)-柏原間開業(現福知山線)
1910年 大逆事件の検挙開始
1918年 東京音楽学校(現東京芸術大学)でベートーベンの交響曲第5番「運命」が初演。
1945年 B29爆撃機470機が東京空襲。山手の都区部の大部分を焼失。一般市民虐殺。
1948年 山梨県旭村で村長に対する日本初のリコール投票。リコール否決。
1949年 商工省・貿易庁・石炭庁を廃止し通商産業省(現経済産業省)設置
1951年 内閣が「人名用漢字別表」92字を告示
1954年 写真家ロバート・キャパがインドシナ戦争取材中に地雷に触れて爆死
1955年 広辞苑初版が岩波書店から発行
1955年 世界3位の高峰カンチェンジュンガに英国登山隊初登頂
1959年 戦後初の国産潜水艦「おやしお」進水式
1960年 大修館が諸橋轍次の「大漢和辞典」刊行。編纂に35年。
1963年 狭山事件で切り換えられたゴム紐発見場所の近くの山林で被害者の教科書とノート類発見
1968年 篠栗線篠栗-桂川間全通
1969年 スーダンでクーデター。スーダン民主共和国に。
1970年 プロ野球八百長試合事件で西鉄ライオンズ池永や益田ら3選手が球界永久追放。
1973年 あべ静江 がシングル「コーヒーショップで」で歌手デビュー
1975年 岡田奈々がシングル「ひとりごと」で歌手デビュー
1976年 新幹線の乗客数10億人突破
1977年 アメリカで「スターウォーズ」封切り
1978年 俳優の勝新太郎が阿片所持容疑で書類送検
1978年 石川ひとみがシングル「右向け右」で歌手デビュー
1979年 シカゴでアメリカン航空機墜落。死者272人。
1979年 井上望がシングル「ルフラン」で歌手デビュー
1981年 銀行法が81年ぶり全面改正
1981年 障害者に関する用語の整理に関する法律公布。法律文中の差別的用語を変更。
1981年 スターダスト・レビューがシングル「シュガーはお年頃」、アルバム「STARDUST REVUE」でデビュー。
1982年 復活したオリエント急行ロンドン出発
1985年 映画「ターミネーター」封切り
1987年 森高千里がシングル「NEW SEASON」で歌手デビュー
1989年 アメリカが包括通商法スーパー301条を適用し、日本を不公平貿易国に指定。
1990年 1986年12月以来の大型景気が42か月目となり、戦後2番目の岩戸景気と並ぶ。
1998年 歌手の松田聖子2度目の結婚。2000年12月離婚。
2000年 レバノン南部を22年間占領していたイスラエル軍撤退。
2002年 南海和歌山港線和歌山港-水軒2.6km廃止
2002年 台湾海峡の上空でチャイナエアライン611便空中分解事故
2005年 靖国問題等で日中関係悪化を欧米・東アジア各国のマスコミが一斉報道
2009年 北朝鮮が、3年振り2回目の核実験強行。
2009年 板橋資産家夫婦放火殺人事件。