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JR東日本常磐緩行線203系

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-jyoban203

2007年7月16日にJR東日本常磐線松戸駅にて撮影。一部の茨城県民に御馴染みで、常磐緩行線・千代田線乗り入れ用として、初期には上野-取手間の運用に暫定的に投入されていた103系1000番台が営団地下鉄では不評だったことも目的で1982年に投入された。

松戸では今も伊勢丹百貨店の閉店が惜しまれ、創業から一世紀程度の田中家という蕎麦屋の閉店も惜しまれている。後者は事業承継という形で復活を望みたい。大阪府大阪市なら信濃そばが復活する程です。だが復活の時期が遅かったですね。福山雅治さんも愛したという、長崎県大村市森園町の協和飯店なら1年半程度で復活したのですから。

田中家なら閉店が心残りと思って事業承継・引継ぎ支援センターに登録もしていない気がしています。それは神奈川県横浜市中区吉野町にあった、おもや、板橋区にあった田中家という蕎麦屋、有楽町にあった交通飯店、習志野市にあった鷺沼温泉という銭湯や三松屋などもです。

亀有出身の漫画家秋本治さんは電車好きで、稀に「こち亀」に203系を描いたことがあるらしい。亀有なら銭湯が数か所あって羨ましいですね。

1982年11月15日月曜日に営業運転開始。上越新幹線大宮-新潟間開業も同年同日。登場したのがつい最近だと思っていたのに、2007年になるともう引退なのかと思っていた。

上野駅に行かないのに「上野」の行先表示も出せた。

神奈川県方面の小田急線には乗り入れなかった。

川崎重工製造分は大阪府地区で公式試運転がされ、117系との並びも写真に残されている。

上京は自力走行だった。これらは国鉄時代だと当たり前だったが、広域転配も分割民営化でやりにくくなり、寝台列車を相次いで廃止させ、甲種回送の回数を増やす必要性が生じ、運賃計算上からも不都合になり、自動改札普及などで係員が旅客に相対する場面自体が著しく減少し、多様な企画乗車券が発売されても周遊券や周遊切符みたいに使用条件が厳しくなって国鉄時代より使いづらくなったものもあり、各社間の繋がりが薄れ、下関(山口県)や亀山(三重県)では全旅客列車が分断という問題も残した。

詳細はこちらも参照にしないといけないが、既に30周年以上となったからJR同士の合併で在来線はJR東日本で、新幹線はJR西日本が経営すればよく、JR西日本とJR九州の統合は経済効果もある。

今は引退してインドネシアやフィリピンに行った仲間もいる。

207系900番台は「鉄コレ」で出たが203系も出る可能性が高い。既に203系も207系900番台もマイクロエース(埼玉県蕨市)から登場。

 

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