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本日は障害者の日です。国際障害者年の昭和56年のこの日開催された総理府(現内閣府)主催の中心記念事業「広がる希望の集い」で制定。厚生省(現厚生労働省)が実施。昭和50年、国連総会で「障害者の権利宣言」採択。
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本日は国際腐敗防止デーです。平成15年のこの日「国連腐敗防止条約」調印。公務員等による贈収賄・横領等の汚職・腐敗行為の防止のための日。
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本日はタンザニア独立記念日です。1961年、アフリカ東部の国・タンザニア連合共和国を構成するタンガーニカがイギリスから独立。1963年12月にザンジバルもイギリスから独立し、翌1964年に両国が連合して連合共和国に。
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本日は漱石忌です。夏目漱石の1916(大正5)年の忌日。
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そのほかの出来事
645年 孝徳天皇が難波長柄豊碕宮に遷都
1159年 藤原信頼・源義朝らが後白河上皇の御所を襲撃し二條天皇を幽閉。平治の乱始まる。
1321年 後醍醐天皇が、後宇多法皇の院政を廃して親政を敷く
1324年 甲子革令の為、正中に改元。1326年に嘉暦に改元。
1680年 将軍・徳川綱吉が、賄賂政治を行っていた大老・酒井忠清罷免。
1835年 仙石騒動処断。但馬・出石藩のお家騒動で江戸幕府が藩主・仙石久利の所領を削り家老・仙石右京処罰。
1867年 倒幕派によって朝廷から「王政復古の大号令」発せられる。新政府発足。
1909年 陸軍砲兵大尉・相原四郎が不忍池畔で日本初のグライダー試乗。
1911年 浪花節の桃中軒雲右衛門が日本初のレコード吹き込み
1920年 大杉栄らが日本社会主義同盟結成。翌年結社禁止。
1933年 三和銀行発足
1935年 12.9運動。日本が河北省などに設置した冀察政務委員会に反対する北京の学生が抗日デモ
1941年 NHKが全国同一周波数放送を実施。語学講座の放送を中止。
1941年 重慶の中国国民政府が日・独・伊に宣戦布告。大韓民国臨時政府が日本に宣戦布告。
1945年 GHQが「農地改革に関する覚書」発令
1948年 「集団殺害罪の防止及び処罰に関する条約」(ジェノサイド条約)締結
1967年 銀座線など、東京都電9系統廃止。
1974年 田中角榮内閣が総辞職。三木武夫内閣成立。
1986年 ビートたけしら12人が「フライデー」の取材方に抗議し、講談社に押し掛け暴行。全員逮捕。
1987年 ソ連の偵察機が沖縄本島領空を侵犯。自衛隊機が初の実弾警告。
1990年 15歳の田村亮子(現谷亮子)が国際女子柔道選手権で最年少優勝
1991年 中日の落合博満内野手が日本のプロ野球選手初の年俸3億円突破。
1992年 ダイアナ妃とチャールズ王子の離婚発表。
1993年 屋久島・白神山地・法隆寺・姫路城の4か所が世界遺産に。
1993年 将棋の公式戦史上初めて女流棋士(中井広恵)が男性棋士(池田修一)から白星。
1995年 アメリカ海軍のニミッツ級航空母艦の7番艦であるジョン・C・ステニスがサンディアゴ港にて就役。
1998年 宇多田ヒカル「Automatic」でCDデビュー。
2003年 日本の火星探査機「のぞみ」の火星周回軌道投入断念。火星への衝突回避のため「のぞみ」に弱い噴射を行うコマンド送信。
2005年 日本政府がイラク派兵の一年間延長決定。
2005年 立川反戦ビラ配布事件第二審逆転有罪判決。
2005年 日本の小惑星探査機「はやぶさ」との通信途絶。
2008年 イリノイ州知事ロッド・ブラゴジェビッチが収賄容疑で逮捕。
前記した都電銀座線は主力路線だったが、今なお廃止が惜しまれている。線路へ抜本的対策等がなく、運賃収入だけに頼らざるを得ず、国の道路中心主義は終わらず、本来玉虫色に道路整備予算をばら撒く時代は終わっており、道路整備予算は年間一兆円を上限にしないといけないのにしないのは矛盾で、人々に皺寄せが回るだけで経済効果がなく逆効果。道路やダムの建設は所管する部署と財源が別で、利権が絡むから線路に金が出ないこと等はおかしいから法改正が必要で、改正で殆どの路線が生き残れるから早期具体化等が望まれ、道路整備予算を数%使い、沿線住民や複数の団体が話し合って前向きに考える必要があり、線路への公的支援は近代化設備整備費補助金の名目で年間約25億円しかないので、もっと出さないといけない。
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どこもかしこも路面電車の経営に消極的だったかわかるし、廃止を考える前に企業や自治体等も経営参加、他社や専門家とで合理化や増収の協議会や委員会の設置、潜在能力の最大限活用、社有財産貸出、国が公務員の人件費を中小企業並に削減、上下分離方式採用、新規出資者開拓等による授権資本充足、金融機関から安定的に資金調達できる環境整備、不正乗車で通常の十倍以上の運賃徴収、もっと企業などに使って貰えるようダイヤ改善、線路の整備に特定財源設置、周辺住民への意識改革等が必要だった。
全国的に路面電車撤去の世論が広がりを見せていた昭和30年代だと東京都電では昭和37年から寿命が十年程と短い8000形という軽量経済電車を大量投入。現在も江東区東陽町辺りだとバスの乗車率が高いため都電廃止は誤りだったとの声が絶えないが、廃止を進めたかった理由は進路が固定されているので自由な進路を作れないことや地下鉄やバスに代替えを進めて都電とバス、地下鉄の中から都電をなくして経営の合理化のためで、旧城東電車も専用軌道が多かったのだから残せばよかったとも語られてもいる。
欧米では地下鉄が開業しても路面電車を補完用として残す都市もあり、高価な地下鉄建設を辞めてすぐスクラップビルドという方向に転換をしている程で、モノレールやゆりかもめのような新交通は嫌がられ、日本では夜行列車と共に路面電車を安易に廃止しすぎが惜しまれている。
神戸市電は立体化と高速化を昭和37年に発表したが当時の運輸省も建設省も理解できなかったせいか注目されても実現できなかった。欧米と日本との差は歴然としており、某書籍では都電を残し、軌道内自動車進入禁止と電車優先信号設置、高性能車投入なら地下鉄の3分の1程の時間で移動でき、地下鉄より3倍便利な面交通機関として生まれ変わったという調査結果もあり、お年寄りに優しいだけでなくヒートアイランド現象にも無縁だったとか、都電を復興しなければ未来の東京は惨めになると故実相寺昭雄映画監督は荒川線以外の廃止を非難。
国は同じ交通基盤整備として道路に年間数兆円も出しており、道路中心主義は自動車社会助長を進め、車の購入費用や燃費、維持費、税金としてお金を消し続けてきたことは反省し、車に頼らず、線路を中心に徒歩、二輪車、バス等の交通手段を適時使い分けられる交通機構構築が必要。国会議員は欠席で無給にすると日給計算で三割程度になり、国会はまだ開店休業状態。人件費半減と言わず審議も何もなくても出費が出るからその金額を議員の給料やボーナスから返金するようにすればいいだけ。
現在では「銀座LRT研究会」もある。銀座に早期にLRT導入を期待したいし、江東区でLRT事業も考えられている。
平成20年春には池之端に都電が来た。車両は7500形。惜しむらくはワンマン改造で車体が載せ替えられていること。現地にはかつて20系統(上野広小路-江戸川橋)が走っており、五年以上前迄下水道工事がされていた。
近くに上野グリーンクラブがある。かつて東京盆栽倶楽部と称し、現在も社名がそのまま。都電廃止後は専用軌道の敷地をグリーンクラブが買い取り、敷地を広げ、更にその先は上野公園の拡張に使われて樹木が多数植えられる等往年の面影が無い。この辺は上野動物園もあり、モノレールと都電の「歴史の交差点」もあり、両者の取り合わせや不忍池の畔を走る都電の風景や車窓も人気だったと思う。
東京ならどこでも高層建築が絶えることなく増えている昨今で、上野も蚊帳の外でない。無機質なコンクリートの塊で町が作られると今後は何か大きなしっぺ返しが来るし、人類は自然の恩恵を受けて生きてきたことを再考して自分たちの行動の改善が必要で、高層建築は安全性が心配。どうしてもどこかで再開発したくて高層建築を造りたいなら京葉線の南船橋や二俣新町、市川塩浜の駅前等がよい。二俣新町駅北側だと私有地があっても建築物が少ないから問題も少なく、陸の孤島から脱出もでき、JR東日本や京成系列なども今後の経営環境は暗いが、再開発で保有資産の有効活用が図れて京葉線や武蔵野線等の沿線地域や駅周辺地域の付加価値に繋がる価値が高まり、旅客関連の収益増や地域活性化もできるなど一石二鳥どころか一石何鳥。
高層建築は豊かさの象徴かもしれないが豊かさの追求より緑地増加やヒートアイランド現象等の対策が必要で、無論なってからでは遅く、先進国との比較では日本は景観を無視しすぎで、他国では高層建築増加を疑問視する声が出ているのに日本は逆で規制も皆無。
汐留が貨物駅だった頃は海からの風で都心が冷やされたが現在は高層建築が壁になっているという問題が指摘されながら無視され、価値のある建築物が相次いで姿を消そうともしているため「東京にこれ以上に高層建築を造るな」とか「高層建築より緑地を」と訴えていきたい。
昭和の情緒あふれる町並みを壊し、無機質なコンクリートの塊で町が作られるのは止められないかもしれないが、昭和の情緒あふれる町並みを壊すのはよくない。
それでも上野や池之端にはまだまだ昭和的な風情が残っている。是非とも一度は上野や池之端に来て欲しい。
平成21年9月27日に荒川車庫で行われた荒川線の日記念行事で個人が保存してきた6086が約30年ぶり里帰りが記憶に新しいが、前身の王子電車からの引き継ぎ車176(栃木県宇都宮市にある企業に屋根付きで静態保存)の里帰りも期待したい。
↓に写真があります。
http://c5557.kiteki.jp/html/toden175.htm
「下町の味がまた一つ消えた」と惜しまれていることには「三ノ輪ラムネ」の消滅。ラムネといえば三ノ輪ラムネで、「風呂屋もラムネ屋も、地域密着で生きてきた。なくなるのは本当に寂しい」という声もあり、番台で三ノ輪ラムネを販売していた荒川区東日暮里の銭湯「斉藤湯」店主の斉藤勝輝さんは「ラムネの原点ともいえるあの涼しげなガラス瓶は湯上がりにぴったりだった。宮岡さんのじゃなきゃ意味がない。もうラムネは置かない」と述べた。
このまま姿を消して貰いたくなく、かつて吉祥寺名物だった井の頭煎餅も限定復刻されたことがあるように、どこかがかわりに製造販売をして貰いたく、廃業前には周辺住民や周辺の企業も経営に参加、社有財産貸出、新規出資者開拓等による授権資本充足、金融機関から安定的に資金調達できる環境整備、もっと企業などに製品を買って貰える様な改善、会社や商品等を活性化させて守ろうという意識を植え付け、更にどれ程売れればいいか理解させて人々の意識改革、企業や自治体等が企業の経営を支える株式発行と利用促進協議会設置、他社や専門家とで合理化や増収の協議会実施、緊急増収対策委員会設置、潜在能力の最大限活用等が必要だった。
新たなる可能性、方向性も豊富で、従来の常識を打ち破る経営もまだまだ可能で、商機も多かったのに最大限生かし切れていなかったが、前記の施策は地域振興や活性化、雇用確保、雇用増大などにもなり、今後は関係者などが自らどこかの駅前でカンパを募る等、全国から再開資金を集めて再開するなりしてもよい。
平成23年3月、三代目社長の宮岡茂氏が55歳で急逝し、東京都荒川区の宮岡商店が9月一杯で廃業。創業60周年の年なのに平成23年9月22日に惜しまれながら製造を終えた。「プシュー」、「ガッチャン」。三ノ輪橋近くの住宅街にある工場で、機械の上で列をなすのは40-50年前に作られたオールガラス製で六角形のラムネ瓶。六角瓶でラムネ製造するのは都内でも他に葛飾区に一店だけ。シロップと水と炭酸が昭和26年の創業時から変わらぬ調理法で満たされ、ビー玉で瓶口を塞ぎ、青や水色の封かん紙を貼って完成。「酸を三種類使って、さっぱり仕上げるのがうちの特徴」とこの道45年の熟練社員が胸を張り、故宮岡茂社長が機械の調整や修理、味の調合まで一手に担っていたが「残された従業員4人で半年間頑張ったが、最後の日が来てしまい残念」と寂しそうに話された。
最盛期の昭和30年代には一日7000本を生産したが、ここ数年は3400-4800本にまで生産が落ち込んでしまっていても再度頑張って欲しかった。ペットボトルや使い捨ての薄いガラス瓶が普及する中、重くて丈夫な六角瓶を回収しながら大切に受け継いできた。業界団体「全国清涼飲料工業会」(東京都中央区)の担当者も「今もガラスの六角瓶を使っているとは、よほど丁寧に扱ってきた証拠」と脱帽。別れを惜しむ声は多く、個展会場に三ノ輪ラムネを置いていた足立区のイラストレーターである、なかだえりさんは「商売はさておき『下町文化を伝える』という社長の気概に感服した。味も爽やかで大好き」と懐かしんでいた。