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JR東日本常磐線203系

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-203kei

2010年1月17日に亀有にて撮影。一部の茨城県民に御馴染みの車両でもあった。1982年に我孫子-取手(茨城県)間複々線化完成と同時に誕生。千代田線乗り入れ用として投入され、初期には上野-取手間の運用に暫定的に投入されていた103系1000番台が営団地下鉄では不評だったことも投入目的だった。

川崎重工製造分は大阪府地区で公式試運転がされ、117系との並びも写真に残されている。上京は自力走行だった。これらは国鉄時代だと当たり前だったが、広域転配も分割民営化でやりにくくなり、寝台列車を相次いで廃止させ、甲種回送の回数を増やす必要性が生じ、運賃計算上からも不都合になり、自動改札普及などで係員が旅客に相対する場面自体が著しく減少し、多様な企画乗車券が発売されても周遊券や周遊切符みたいに使用条件が厳しくなって国鉄時代より使いづらくなったものもあり、各社間の繋がりが薄れ、下関(山口県)や亀山(三重県)では全旅客列車が分断という問題も残した。

詳細はこちらも参照にしないといけないが、既に30周年以上となったからJR同士の合併で在来線はJR東日本で新幹線はJR西日本が経営すればよく、JR西日本とJR九州の統合は経済効果もある。

今は引退してインドネシアやフィリピンに行った仲間もいる。207系900番台は「鉄コレ」で出たが203系も出る可能性が高い。既に203系も207系900番台もマイクロエース(埼玉県蕨市)から登場。

常磐線といえば1971年4月20日、千代田線との相互乗り入れ開始と同時に従来は貨物専用だった北柏駅が旅客営業を開始し(現在は旅客のみ)、上野-取手間の快速線に快速新設等の変化ともに常磐線は混雑時に上野行きを減らし、編成は10両から8両に減らしたが思ったより減少せず、慌てて10両に戻し、増発のため一度引退させた葡萄色の旧式車も現役に一時復帰。その頃、一度だけの乗換えで済む千代田線経由では北千住-西日暮里間が営団線になるため割高運賃になる問題が発生した。

前記の103系1000番台が常磐快速線に転用後の一時期、灰色9号に青緑帯のまま使用されたものもあった。

 

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