本日は鈴木裕乃ちゃんのお誕生日です。20歳になりました、おめでとうございます。血液型AB型。火曜日生まれ。身長165cm。スターダストプロモーション所属。元私立恵比寿中学出席番号8番。
血液型AB型はエビ中では唯一だった。
これまで数回見ているが彼女がいるときを見たのは平成25年4月21日 が最後。それが最後と思っていなかったのですが「また見たい」という意識もなかったです(ただし平成29年11月12日 に1666日ぶりに現場復帰)。
思い出としては平成25年3月3日 に埼玉県や茨城県に近い場所に有る、ららぽーと柏の葉で恵比中を見に行くと、当日は都立高入試を控えていた関連からか欠席。自分自身は中学生の頃卒業直前に日曜日に登校なんてなかったのですが、時期と地域が違うからでしょうか?
裕乃ちゃんが欠席していたため前記の4月21日が代わりに生誕祭となり、当日は裕乃ちゃんがZARDの「負けないで」を歌っていました。故坂井泉水さんは実質的に事務所の先輩となります。
平成24年4月1日 に赤坂BLITZで単独公演があり昼の部に行き、その2週間前に前売券を買っておりました。ぎりぎりで前売券を買えたこともあり、こちらも思い出に残っていますが1年くらいで撤退してしまうなら行かなくてもよかったかな?
裕乃ちゃんのが生まれたのと同年同日に放送された「笑っていいとも!」の「テレフォンショッキング」に出演していたのは陣内孝則氏(10回以上出ていた)。その前日だと自分は仕事が休みで神奈川県三浦市に行っていました。
元みにちあ☆ベアーズで平成25年12月26日に配信された私立恵比寿中学公式USTREAMにおいて瑞季ちゃん、杏野なつちゃんとともに平成26年4月15日に日本武道館にて行われるコンサートをもって転校(脱退)を発表し、同年1月4日に前橋グリーンドーム(群馬県前橋市)で行われた「3Bjunior Live Final“俺の藤井”2014」では、かわりに小林歌穂、中山莉子の転入(加入)を発表。
一歳上の兄がいる。趣味は漫画を読むこと、特技はテニス。塾、バスケ、ピアノの習い事をしているという(Wikipediaより)。
恵比中の現場からの撤退理由は会場に以前よりかなり人が多く来るようになり、何度か見ることができて満足しており、今後は見たいと思ってもなかなか見られないと思ったこと、さくら学院 等、また見たいお相手、一度見たいお相手がいくつかいるためで、恵比中のことを今や殆ど無視しています。
東京アイドルフェスティバルにも出たことがありますが、平成25年以降だと日程調整や会場の都合からか出ず。別に残念と思わないですが、スタダは次第にTIFから撤退に向かっていくでしょう。最近ではカラオケで歌うこともなくなりましたし。
同じ平成9年度生まれには私立恵比寿中学だと星名美怜ちゃん、それ以外では桜井日奈子ちゃん、土屋櫻子ちゃん、竹内美沙樹ちゃん、柏元萌華ちゃん、金野美穂ちゃん、金子理江ちゃん 、飯豊まりえちゃん 、白咲るなちゃん 、木島杏奈ちゃん、今泉野乃香ちゃん、杏野なつちゃん、高月彩良ちゃん 、前島亜美ちゃん 、矢野優花ちゃん 、遠山茜子ちゃん、谷中唯彩ちゃん、森高愛ちゃん、SUPER☆GiRLSの渡邉幸愛ちゃん、つりビット の長谷川瑞ちゃん、Cupitronの山川二千翔ちゃん、SKE48 の熊崎晴香ちゃん、木本花音ちゃん、酒井萌衣ちゃん、AKB48の村山彩希ちゃん、向井地美音ちゃん、虹のコンキスタドールの中村朱里ちゃん、BABYMETALの中元すず香ちゃん、全力少女Rの岡崎絵理菜ちゃん、佐藤絵里香ちゃん、アイドル教室 の堀梨恵ちゃん 、Cheeky Parade の永井日菜ちゃん、東京女子流の庄司芽生ちゃん、中江友梨ちゃん、乃木坂46の星野みなみちゃん、ダンシングプリンセスの南あやかちゃん、SAY-LAの吉永みいなちゃん 、Luce Twinkle Wink☆ の宇佐美幸乃ちゃん 、フェアリーズ の野元空ちゃん 、伊藤萌々香ちゃん 、チームしゃちほこ の大黒柚姫ちゃん、咲良菜緒ちゃん、秋本帆華ちゃん、伊藤千由李ちゃん(つまり坂本遥奈ちゃん以外)などがいる。
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そのほかには新井白石、神部年男(元ヤクルト)、大島やすいち(漫画家)、島田紳助、スティーブ・バルマー(実業家)、山口健(声優)、鶴田保子(ジャンボ鶴田夫人)、大橋薫(漫画家)、楠桂(漫画家)、辻口博啓 (料理人)、峯村リエ、斉藤一美(文化放送アナ)、郭李建夫(元阪神)、ヨーコ・ゼッターランド(元バレー)、天野ひろゆき (キャイ~ン)、原田泰造(ネプチューン)、ちはる 、酒井格(作曲家)、タケホープ(競走馬)、桑元孝雄(高校野球指導者)、羽鳥慎一(元日テレアナ)、くわばたりえ 、(クワバタオハラ)、ペイトン・マニング(アメフト)、張民(フィギュアスケート)、三浦祥朗(声優)、永島英明(ハンドボール)、加藤武治(元日ハム)、トマーシュ・ウイファルシ(サッカー)、持田香織(Every Little Thing)、滝川英治 、SHOGO(175R)、KENN(声優)、大友愛(バレー)、姫嶋菜穂子、コーリー・ハート(野球)、初音映莉子、高橋麻美 、山崎猛志(野球)、THE A-WARD a.k.a.日の丸240 、クリス・ボッシュ(バスケ)、綾瀬はるか、平野早矢香(卓球)、藤本淳吾(サッカー)、ロマン・ヴォロビオフ(サッカー)、丸山悠美 、平手晃平(レーシングドライバー)、りお 、長谷川瑠美 、井岡一翔(アマボクシング)、高谷あずさ、マヤノトップガン、篠田拓馬、ステイゴールド、竹富聖花、山田麻莉奈(HKT48 )、森川彩香(AKB48)、稲葉玲王 、玉川桃奈(元Dream5)等も本日がお誕生日です、おめでとうございます!
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島田紳助さん(土曜日生まれ)は松本竜助というコンビを組んでいたが本人の意向や個人活動が多くなったためコンビ解散。
相方の死を早めた事実だったとも思える。
相方とは50歳になったら一緒にまた漫才しようと約束し元相方は衣装を準備していたが50手前で死去したため幻になった。
松本竜助さんと同い年だと大平シローさんが平成24年に亡くなっており「この世代には何か悪いことが相次ぐな」と思っていた。
後々司会者に転向もするが「オレたちひょうきん族」の「ひょうきんベストテン」(「ザ・ベストテン」のパロディー)程度しか経験が無く漫才と勝手が違うため不安もあったというが日テレの「歌のトップテン」で和田アキ子さんと司会を担当するように。
これは「ひょうきんベストテン」での司会ぶりを日テレに評価されたため。
「歌のトップテン」よりも先に「ひょうきんベストテン」の司会を担当。
木曜日に「ザ・ベストテン」、土曜に「ひょうきん族」の「ひょうきんベストテン」、月曜に「歌のトップテン」となると三者を比較して見るかのようで違和感があった。
「ザ・ベストテン」と「ひょうきん族」は奇しくも終了時期がほぼ同じ。
現在も彼の名は強ち番組内では禁句でなく引退後も一回程度彼の映像が「開運!なんでも鑑定団」で放送されたこともある。
後輩にもファンにも復帰が望まれ可能性もなくはないが復帰しようにもスポンサーに嫌がられ余裕がないとやらで難しいと言われ、そのせいかもう芸能界に未練ないという。
「ダウトをさがせⅡ」で東京から大阪まで東海道全駅の名前を暗唱したことがある。
父親は元国鉄職員。自身は何故か一人っ子で一人っ子だと遊び仲間は帰りが遅いのに自分だけ早かったという。
以前は頻りに京都府京都市にある実家に戻っており何かあったら京都に戻るつもりがあったという。
盟友の石坂浩二さんとは「歌のトップテン」の裏番組として「クイズ地球の歩き方」が放送されていたため競合関係にもあった。
両者は終了時期がほぼ同じ。
引退直後の平成23年10月8日、父親が病気で87歳で死去。後に京都市内に母親だけ残され自身はマンションを売り払いハワイに移ったという。
実父の死の前後では入れ替わるように自身の次女が初孫を出産。
娘が三人いる。家族全員がレーシックを行い「人生が変わった」と「謎を解け!まさかのミステリー」で言っていた。
実母は復帰を希望し夫を亡くすと何度か高齢からか体調を悪くしたいるといい「テレビをつければ毎日家に居ながらにして息子に会えたのに」等と思っていた。
高校生の頃、仲間からお笑いの道に進むことを勧められ自分もお笑いの道に進むことを考えていたというが地元にある京都学園大学に進むも当時大人気だったB&Bの漫才を偶然テレビで目の当たりにして親に「大学辞めるわ」、「今からこの人潰してくる」と言って中退。
親が入学金を支払ってすぐ辞めたため通っていないという異色の経歴を有しており自分が実質的に大学生になっていた。
これは入学金と学費を支払えば学籍が発生するため。
こちらについては平成19年8月19日の「24時間テレビ」程度でしか述べたことがない。
自分の希望通り吉本興業に入ったが故松本竜助さんと出会うまで相方が三回も変わる等なかなか芽が出なかった。
「笑っていいとも!」の前身番組「日本全国ひる休み」や「笑ってる場合ですよ!」でも常連(百貨店の三越グループである新宿のスタジオアルタから生放送を行っていた。)。現在も稀に公の場に姿を現している。
親友で同学年である土建屋よしゆきさんが平成26年に死去したが死去にあたって「長生きすると思っていたのに」と述べた。
元相方の死にあたり「戦友だった」、「あいつがいたからここまでやれた」、「一年前に一緒に漫才をしておけばよかった」と述懐。2人は晩年においても仲が悪いわけではなかったといえる。