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世界禁煙デー

本日は世界禁煙デーです。世界保健機関(WHO)が1989年制定。国際デーの一つ。1995年現在、世界の喫煙者は10億1000万人で約5人に1人の割合。毎年世界で300万人が喫煙が原因とみられる癌や心臓病で亡くなっており、このままでは2030年代初頭に喫煙による死亡者が年間1000万人に達するとWHOが警告。


読むだけで絶対やめられる禁煙セラピー [セラピーシリーズ] (ムックセレクト)/アレン・カー
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本日は郵政省設置記念日です。昭和24年、逓信省が分離して郵政省と電気通信省(後に電電公社、現NTT)設置。郵便と郵便貯金、郵便為替、郵便振替、簡易生命保険の事業と電気通信の事務を行っていたが、平成13年の中央省庁再編で電気通信事務は総務省に、その他の事業は郵政事業庁(後の日本郵政公社)に引き継ぎ。


こちら、郵政省特別配達課! (ソノラマノベルス)/小川 一水
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ガイドブック最盛期の国鉄車輌 5 (NEKO MOOK 1145)/浅原 信彦
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マニ35・36・37形 改造荷物車のバリエーション 〈上〉 (RM LIBRARY 134)/藤田 吾郎
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国鉄郵便・荷物気動車の歩み〈上〉 (RM LIBRARY(20))/千代村 資夫
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国鉄郵便・荷物気動車の歩み〈下〉 (RM LIBRARY(21))/千代村 資夫
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今となっては国鉄郵便車が懐かしいが、郵便車の起源は明治時代の鉄道開業初期にまで遡ると言われ、当初は単に郵便物を運ぶためだったが、明治中期には専用車両が作られ、車内で郵便物仕分け等を行うようになるなど、全国に郵便車が走り、東京や上野、大阪等の主要駅では郵袋(行き先別に仕分けした郵便物を収納した麻袋で、「票札」という宛先郵便局の票があった)の積み下ろしが行われ、各地に郵便物を運んでいた。郵便車は各鉄道郵便局の職員が乗り込んで、郵便局としての機能の一部もあり、駅のポストに入れた郵便物では、宛先方面に向かう郵便車内で消印が押されることが多く、この消印を「鉄郵印」と呼ぶ。専用郵便車は、戦前は逓信省、戦後は郵政省が所有していたが、荷物車や座席車、その両者との合造車も多くあり、合造車なら国鉄などが所有し、車種としては客車が多かったが、前記したクモユ141等、電車や気動車もあった(余談だが平成22年に廃止された総武線の新聞列車については環境面において廃止は悪いという指摘も有り、彼らの意見に自分も完全同意。復活を希望したい。)。郵便輸送は昭和46年をピークに飛行機や高速道の発達で需要を落とし、昭和59年1月末に取扱便が休止され、昭和61年9月限りで残されていた護送便と締切便も休止し、郵政省所有の郵便車は廃車され、鉄道輸送に幕。郵便輸送全廃で廃車となった郵便車の中には郵政省所有だったため転用できず、クモユ143や一部のスユ15の様に製造から僅か4年程しか使われなかったものも。同時期には荷物車改造のクモハ123形が出現し、国鉄では郵政省からクモユ143等を買おうとしても費用がかかるため断念したらしい。その後、瀬戸大橋や青函トンネルの開通等でJR貨物のコンテナ貨物列車で航空禁制品や速達性不要な郵便物を運び、宅配便業者の一部は貨物列車で佐川急便とJR貨物によるスーパーレールカーゴのようなチャーター便もあり、平成18年から新越谷郵便局(現郵便事業新越谷支店)が列車輸送の利便性を考え、越谷貨物ターミナル至近に開局し、その立地を生かして平成19年以降は冊子小包等の大量差出の引受を担当。


本日は総理府設置記念日です。昭和24年、総理府設置。各行政機関の施策事務の総合調整等を行っていたが、平成13年、経済企画庁等とともに内閣府に統合。


障害者白書〈平成11年版〉―ノーマライゼーションの世界的展開/著者不明
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障害者白書 (平成9年版)/総理府
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本日はブルネイ王国軍記念日です。1961年のこの日、ブルネイ王国軍発足。


D19 地球の歩き方 マレーシア ブルネイ 2012~/著者不明
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本日は青峰忌です。俳人・嶋田青峰の昭和19年の忌日。新興俳句運動に理解を示していたことから、昭和16年、治安維持法による新興俳句派に対する弾圧事件「俳句事件」に連坐して起訴され、留置場で喀血して釈放されたが、病状が悪化し死亡。


そのほかの出来事


679年 吉野の盟約

1793年 パリの民衆が国民公会にジロンド派議員の追放・パンの値下げなどを求めて蜂起

1832年 フランスの数学者ガロアが恋愛を巡る決闘で死亡。

1862年 アメリカ南北戦争・フェアオークスの戦いで手動式機関銃を初めて使用

1895年 富山市で大火。6402戸焼失。

1902年 フェリーニヒング条約締結。ブーア戦争が終結し、トランスバール共和国・オレンジ自由国がイギリス植民地に。

1910年 イギリス自治領として南アフリカ連邦成立。

1916年 6月1日まで第一次世界大戦中のユトランド沖海戦

1918年 プロコフィエフが米への亡命途上日本上陸

1948年 国際ペンクラブが日本復帰承認

1956年 川上哲治が通算2000本安打

1959年 バスク地方分離独立を目指す急進的な民族組織であるETA発足

1961年 南アフリカがイギリス連邦脱退。南アフリカ共和国に。

1966年 茨城県の茨城交通茨城線石塚-御前山間8.6kmと水浜線水戸駅前-大洗間14.4km廃止

1970年 ペルー北部でM7.5の大地震。アンデスのダムが決潰するなどで死者7万1千人。

1971年 「自動車重量税法」公布

1972年 三菱鉱業美唄鉄道美唄-常盤台間10.6km廃止

1972年 三井芦別鉄道芦別-頼城間9.1kmが旅客営業廃止。1989年3月25日限りで貨物も廃止。

1974年 「地方自治法」改正案が成立。東京23区の区長が公選制に。

1974年 中華人民共和国とマレーシアが国交樹立

1976年 シリア軍がレバノンに侵攻し難民キャンプなど襲撃

1983年 東武熊谷線熊谷-妻沼間10.1km廃止

1984年 京セラなど25社が第二電電企画(後に第二電電・現KDDI)設立

1985年 第1回東京映画祭開催

1986年 FIFAワールドカップメキシコ大会開幕

1986年 北陸鉄道小松線廃止

1995年 故青島幸男前東京都知事が世界都市博覧会開催中止表明

1996年 プリンセス・プリンセス日本武道館ラスト公演で解散

2001年 W3CがXHTML1.1の仕様勧告

2002年 FIFAワールドカップ韓国・日本大会が韓国ソウルで開幕。6月30日まで。

2002年 京都議定書が日本の国会で承認。

2005年 元FBI職員マーク・フェルトがウォーターゲート事件の内部告発者「ディープ・スロート」だったことを自ら明らかに。


茨城交通水浜線 (RM LIBRARY(63))/中川 浩一
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茨城交通茨城線は、かつて茨城県水戸市の赤塚駅と茨城県東茨城郡桂村(現城里町)の御前山駅(御前山といっても、現在は常陸大宮市になっている東茨城郡御前山村でなく那珂川対岸の桂村にあった)。


終着駅の名から御前山線の別称もあった。昭和46年全廃。最終的には水郡線方面に行く予定もあったが、川を渡れなかった。


現在、赤塚駅周辺にはヨークタウン赤塚やフレスポ赤塚などがある。


人間万事塞翁が丙午 (新潮文庫)/青島 幸男
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人間万事塞翁が丙午 (1981年)/青島 幸男
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ちょっとまった!青島だァ (双書 時代のカルテ)/青島 幸男
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世界都市博覧会については中止で約1000億円の損失と事務局側は故青島幸男東京都知事へ伝えていた。開催するかどうかの決断は平成7年5月31日迄にしなければならなくなり、期限が迫っていた。そうした中、5月16日、東京都議会の「世界都市博開催に関する特別委員会」は「都市博開催決議」を可決。同日、青島知事宛ての小包が爆発する東京都庁小包爆弾事件が起き(ただし、爆弾事件はオウム真理教によるもので中止問題とは無関係と後に判明)、今度は5月23日に東京都議会・本会議で100対23の大差で「都市博開催決議」可決。「都知事の公約は貫徹されない」という観測が広まったが、青島都知事は全国の注目を集める中で都市博の中止を発表。公約実行が困難と見ていた人々は「公約は公約でも本当に中止するとは信じられない」と衝撃。故青島氏は都市博中止決断を家族や知人と相談して決めたという。この決定を受けた故鈴木俊一前知事は「首都圏での博覧会開催」という夢を潰されたことに怒りを露に「サリンをばら撒かれたようだ」と発言し、各方面から非難。その頃には「間違ったやり方」と故青島氏に一喝されたが、「この言葉を君に返す」、「自分なら何が有ろうともやるのに、、、」と話した。後に故青島氏はお詫び行脚に行くこととなるが、最期に訪れたニューヨークでは当時ニューヨーク市長だったジュリアーニ氏と初対面。彼の一言は「公約を守ったことを尊敬している」として、全く怒りもしなかったといい、「君と僕は同じ申年生まれ」などと会話をし、国と言語の壁を乗り越えて二人はすぐ仲良しに。


前記の故鈴木氏は昭和45年に開催された日本万国博覧会で事務総長理事を務めた経験があり、万国博会場選定において当初から故鈴木氏は首都圏開催を主張し、最後まで東京に拘ったが、政府内での「東京はオリンピックをやった、その次は大阪でないとまずい」という流れに押され、結局「首都圏での博覧会開催」という本人の夢は果たせぬままに。そんな故鈴木氏も高齢となり、自身が知事現職中のうちに果たせなかった「首都圏での博覧会開催」をどうしても実現させたいという強い希望から最後の機会とばかりに、平成5年、故鈴木氏の肝入りで開催決定。以後国連や海外の46都市、国内122自治体が参加する計画が進められることに。元々都市博の概念は「臨海開発の起爆剤」で、昭和56年の神戸ポートアイランド博覧会みたいに博覧会を契機に臨海部開発推進にあったが、バブル崩壊でオフィス需要拡大の思惑が外れ、徐々に賃料が上昇する新土地利用方式が不評だったため平成4年頃から進出内定企業の契約辞退が相次いだ。このような背景のもと、故青島氏が平成7年4月9日の東京都知事選挙に立候補し、世界都市博中止、臨海副都心開発見直し、東京協和・安全信用組合非救済を公約に。故青島氏は約170万票を獲得し、故鈴木氏の後継で都市博開催を公約にした石原信雄氏(約123万5千票)に大差で勝利。都市博中止の世論が青島の大量票獲得に貢献(候補者六人中四人が中止公約をしていた。)。都市博中止を公約にした青島は、知事当選後初めて博覧会場を訪れ、かなり準備が進んでいることに驚いたという。


都市博を中止した故青島氏だったが、「(臨海開発のため)何か行事を開催する必要がある」といった発言を残し(代替行事を希望されていた)、その後、都市博が中止になった臨海副都心をどのように開発するか論議が繰り返されるが、都市博中止による意外な効果もあり、都市博中止が多くのマスコミで報道されると皮肉にも都民の臨海副都心の認知度は大いに高まり、噂の臨海副都心はどんな所かという関心から、開業したゆりかもめは荒涼とした埋立地の中、満員の乗客を運び(遊園地の乗り物みたいな感覚まで持っていた)、その後ビッグサイトやフジテレビが開業し、商業施設が充実すると更に多くの観光客が訪れ、臨海副都心は当初予定したオフィス街ではなくアーバンリゾートの性格を持つに至っている。


平成7年秋頃には福島県の市民団体が「都市博跡地に原発を!」という活動をしていたことも。だが、東京電力の回答は「原発は強固な地盤の上にしか造れない。埋立地では地盤が軟弱なため無理。」とのこと。


当時、バブル経済が崩壊しつつあり、仮に博覧会を実施したらどれ程の経済効果があったかどうかは不明だ。その裏で「都市博の序でに浅草や上野に行く人も多かったはず」、「増収を期待していたのに」との声もあったが、かえって客を取られていた筈。なぜなら、平成12年の「淡路花博」では逆に行楽観光施設の客を減らし、終了後の一時期もも勢いが戻らなかったし、道路は渋滞しまくりで、運送会社が困っていた。宿泊客を当て込んで造られたホテルは予想外に客足が伸びず、終了後は閑古鳥が鳴くだけに。平成17年の「愛・地球博」では名古屋にお金が落ちると期待されても単なる通過点に。結局は「経済波及効果はなかった」と言っていい。淡路花博でもそうだったのだし、各地の博覧会で負債が今なお多く残っている。


当時既に第一次公募企業の進出中止や延期が相次いでおり、平成5年に立川市で開催された「TAMAらいふ21」では企業の協賛が思うように得られない状況で、観客数も伸び悩んでいたことも中止の引き金に(東京都は絶対に失敗しないと自信を見せていた。)。


博覧会中止で失業者も出て、「仕事返せ!」とばかりにテレビ出演した人まで。


故青島氏は故植木等氏の「スーダラ節」や故坂本九氏の「明日があるさ」の作詞者であることなども有名だが、小説家としての顔も。「明日があるさ」は連続ドラマ化も映画化もされ、ドラマには故青島氏本人も出演。知事を辞めたら「電波少年」や「おもいっきりテレビ」などにも出演。


平成7年の東京都知事選は世界都市博覧会をどうするかが焦点。与野党相乗り候補で内閣官房副長官を長年務めた石原信雄氏の当選が有力だったが、青島は開発中の臨海副都心で開催予定だった世界都市博覧会中止の公約を掲げ、知事選に無所属で立候補し、大方の予想を裏切り1,700,933票を獲得し、自民、社会、公明、新党さきがけ相乗り推薦の石原信雄氏を破って初当選。石原信雄氏は推進派だった。博覧会中止の公約が大いに効果をもたらしたと言え、別の候補者だった元出雲市長の岩国哲人氏や大前研一氏など、6人中4人も中止を公約に。「国民の政党に対する不信感の表れ」と評され、都市博中止決定への異議に対し、「中止補償は金で購いが着く。青島は約束を守れる男かそうでないのか、信義の問題なんだ!」と一喝。約束を反故にしなかったのは世界都市博覧会中止の公約だけだった。経営破綻したコスモ信用組合には結局は200億円も出してしまったことで、一回公約を撤回しただけで新聞のラテ欄に記載された程。「四年で知事を辞めない」と東京新聞で語っていても、カリスマ性を失ったことが4年で辞めた理由でもあった。


臨海副都心開発と二信組救済はその後も進められたためか、青島氏が勇退となると皮肉にも「世界都市博覧会は開催して欲しかった」という声まで。


平成7年5月31日、某報道番組のラテ欄では朝刊だと「本日決断」となっていたのが夕刊だと「中止決断」に変わっていた。「地下鉄サリン事件や阪神大震災といった不幸なニュースが相次いでいたのだから、パーッと博覧会をやってもよかっただろ」とか「これから大儲けになると思っていたのに」、「青島に思い切り石を投げつけてやりたい」、「何が政治家の公約だ」と工事屋は怒りを露に。中でも印象に残っている賛成理由は、「東京ディズニーランドが年間1000万人なら都市博が半年で2000万人は無理」というもの。中止が決定していても知らないか知っていたのかわからないが、決定しても杭を打ち込むというような工事をひたすら続けていた写真も出ていた。


中止決断後は都営バスの側面にあったステッカーをすぐ撤去し、銀座にあった「あと○○日」の広告にある数字も消され、都庁の東京大使というマスコットも撤去され、都市博テレカもすぐ売り切れ。


数日後、東京都では博覧会跡地を遊園地にするという話まで出たが、西武ライオンズのオーナーは、当時屋外だった西武ライオンズ球場は雨天中止が多く、後半の試合日程が厳しくなる事も多かったため、都市博跡地にドーム球場建設の案が浮上したが、移転に対する地元住民の猛反発や多額の建設費用の捻出、更にグループ企業の西武からも「電車の利用客が減るのは困る」との意見が出たため、結局は西武球場が西武ドームに。


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