本日は放送記念日です。日本放送協会(NHK)が昭和18年制定。1925(大正14)年社団法人東京放送局(現NHK東京放送局)が日本初のラジオ仮放送開始。東京芝浦の東京高等工芸学校に仮スタジオを設け午前9時30分、京田武男アナの「アー、アー、アー、聞こえますか。JOAK、JOAK、こちらは東京放送であります。こんにち只今より放送を開始致します」という第一声が放送。
元々は3月1日に放送開始予定が購入予定の日本にたった1台しかない放送用送信機が同じく設立準備中の大阪放送局に買い取られてしまったため東京放送局は東京電気研究所の送信機を借り放送用に改造して使用したが2月26日の逓信省(後の郵政省・現日本郵便)の検査で「放送設備は未完成のため3月1日からの放送はできない」と判断されてしまった。
既に3月1日から放送開始を報じ、大阪放送局より先に日本初のラジオ放送を行うため「試験放送」の形で逓信省の許可を受け、何とか3月1日から放送開始できた。
22日には逓信省から正式に免許を受けて仮放送を開始し、7月12日に愛宕山からの本放送開始。大阪放送局はその年の6月1日から仮放送開始。
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本日は国連水の日です。1992年の国連総会で決定し、翌年から実施。国際デーの一つ。地球的な視点から水の大切さ、貴重さを世界中の人々がともに見詰め直す日。日本では8月1日が「水の日」となっているので8月1日は「地球と水を考える日」としている。
そのほかの出来事
238年 ゴルディアヌス1世と彼の息子ゴルディアヌス2世が共同皇帝としてローマ皇帝への即位を宣言。
646年 「薄葬令」発布。大規模な墓の建設や家来等の殉死を禁止。
1379年 北朝が康暦に改元。1381年に永徳に改元。
1485年 薔薇戦争最後の決戦・ボズワースの戦い。ランカスター派が勝利しヘンリー7世がチューダー朝を開く。
1584年 徳川家康が小牧山に築塁を完成
1661年 江戸幕府が諸大名に城米の半分を江戸・大坂などに運ぶよう命令
1765年 英議会で植民地の全ての刊行物・書類に収入印紙を貼る「印紙税法」が成立。猛反対を受け翌年撤廃。
1807年 北方警護の為、西蝦夷地が松前藩領から幕府直轄領に
1864年 フランス公使・ロッシュが着任
1870年 東京府が人力車の営業を許可
1896年 日本銀行が落成
1897年 「新聞紙条例」改正。新聞の発行禁止・停止を全廃。
1897年 日本人の経営・編輯による初の英字日刊新聞「ジャパンタイムス」創刊
1907年 南アフリカのインド移民を制限する法律に反対し弁護士ガンジーが不服従運動を開始。翌年本国インドで実践する運動の始まり。
1908年 東京で銭湯から帰宅途中の女性が絞殺。日頃銭湯を覗き見していた池田亀太郎が逮捕され、あだ名の「出歯亀」が好色な男性の異名となる。
1916年 自ら皇帝を名乗っていた袁世凱が、叛乱拡大により帝政の取消し表明
1934年 文部省国語調査会が、国号の読みを「ニッポン」とする案を政府に提出
1935年 ドイツで世界初のテレビ定期放送開始
1939年 ドイツの要求によりリトアニアがメーメル割譲。
1942年 第二次大戦・第2次シルテ湾海戦
1945年 エジプト・レバノン・シリアなど7か国が「アラブ連盟」を結成
1946年 イギリス委任統治下のヨルダン独立
1947年 日本鳥学会が雉を日本の国鳥に選定
1953年 鳩山一郎が日本自由党結成
1957年 男声コーラスグループ・ダークダックスがデビュー
1958年 サウジアラビア国王にファイサル即位。
1964年 国鉄大阪環状線が環状運転開始
1968年 日本初の潜水調査船「しんかい」の命名着水式
1970年 第1回全日本女子プロボウリング選手権開催。中山律子優勝。
1972年 東京都が飲用以外の地下水汲み上げ禁止
1975年 近畿放送のチャリティー番組で宮城まり子が25時間連続出演の世界新記録
1977年 民主救国事件で韓国大法院が金大中らに有罪判決
1978年 電電公社、光ファイバーによる海底ケーブル通信の実験成功。
1983年 福岡市地下鉄空港線室見-姪浜間と中洲川端-博多(仮)間開業。
1985年 第1回エイズ調査検討委員会、日本初のエイズ患者を認定。
1987年 国鉄士幌線帯広-十勝三股間78.3km廃止
1993年 インテル社が最初のペンティアムプロセッサ(64ビット、60MHz)販売開始。
1995年 ロシアの宇宙飛行士ヴァレリー・ポリャコフが宇宙滞在最長記録である438日を達成後地球帰還。
1995年 ロッキード事件丸紅ルートの裁判で最高裁が田中角榮元首相への5億円の贈賄を認定。1993年死去した元首相の有罪確定。
1995年 目黒公証人役場事務長拉致監禁致死事件・地下鉄サリン事件で警視庁がオウム真理教に対する強制捜査。
1995年 日産自動車座間工場閉鎖(神奈川県座間市)。
1997年 秋田新幹線盛岡-秋田間開業。
1997年 北越急行ほくほく線犀潟-六日町間開業。
1997年 ヘール・ボップ彗星が地球に最接近。
2004年 JR東日本がSuicaショッピングサービス開始。
2005年 秋田県で潟上市・北秋田市、茨城県で稲敷市が市制施行。
2005年 秋田県大曲市ほかが合併して大仙市に
2005年 秋田県本荘市ほかが合併して由利本荘市に
2005年 茨城県岩井市と猿島郡猿島町が合併して坂東市に
2005年 山口県小野田市・厚狭郡山陽町が合併して山陽小野田市に
2005年 大分県で日田市が日田郡前津江村、中津江村、上津江村、大山町、天瀬町を編入合併。
2006年 日野自動車が小型バスの新型日野・ポンチョ製造開始。
2008年 2008年中華民国総統選挙で中国国民党の馬英九候補当選。
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大阪環状線になる前の西成線で主役だった旧式の73系電車は大阪環状線を一周することなく西成線を去った。
大阪環状線は平成5年、「平成13年から無人運転を開始する」という突拍子もないことを「鉄道ファン」という雑誌で発表したが、「平成13年から無人運転開始」という記事を雑誌で見て「無理」としか思えず、案の定いうまでもなくすぐ立ち消えに。
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秋田新幹線開業で在来線に変化が起きた。横手以北で特急「こまくさ」を数往復廃止し、寝台特急「あけぼの」は陸羽西線経由から羽越線経由にして寝台特急「鳥海」廃止で在来線衰退の懸念までされた。
寝台列車は殆どにシャワーでもあるなどすれば状況は変わっていたはずで、長距離列車やローカル路線を含め、JR再編と公共交通機関としての役割を再検討しないといけない。
長距離バスの安全性や信頼性が揺らいでおり、真剣に夜行列車存続を考えなければならなかったし、寝台車両新造分の免税でも考えてもいいかもしれないし、現在も復活希望の声がある。
郷愁溢れる列車の良さをもっと伝える必要があり、廃止直前にも存続希望の声が多かった。
新幹線でも寝台車を運転する計画があった。四国新幹線や中国横断新幹線の計画も含め、衝突を避けて夜間運行のため姫路の新幹線13番ホームを待避線に、待避駅として西明石と相生を新幹線停車駅にした。 大阪産業大学工学部の波床正敏氏や井上喜裕氏らは新幹線の夜行運行適用の可能性を環境負荷と発着時間帯の観点から検討し、発着時間帯の設定自由度が従来の夜行列車より高く有望という考えも。
昭和41年、山陽新幹線技術基準調査委員会報告では東京-博多間を一晩に計24本で運行したら片道平均5000-7000人の需要が見込め、夜間運行は片側一線を運用し、もう一方は保守点検して運行も、名古屋新幹線訴訟等、騒音問題が浮き彫りになったことや分割民営化で実現せず。
夜勤職員数や夜勤手当の削減等が成長を阻害し退化させ、内容が以前より悪くなり、運賃と特急料金、寝台料金の合算となる料金体系や分割民営化で各社が運行費に見合った収益を得られなくなったことや夜行バス速達化、座席や設備、乗り心地等の質的向上で対抗できなくなってもローカル線や路面電車とともに安易に夜行列車を廃止しすぎで、線路や駅舎、信号等の管理の必要性があるのも誤りで、上下分離方式やJR貨物に運用を任せることを分割民営化当初から行わなければいけなかった。
実態は週末辺りで満員に近い状態もしばしばで、潜在需要も多かったのに商機を最大限生かし切れなかった。
指定席のみで使えるようにするとか、急行や特急の快速格下げ等が必要だったが、今からでも遅くなく、郷愁溢れる列車の良さをもっと伝える必要がある。
JR九州の「ななつ星」のように観光寝台列車をJR東日本や西日本でも計画しているが、それより簡単に誰もが移動手段として使える夜行列車が必要で、以前なら各地で夜行列車が走っており、長距離旅行に重宝していたが今では予定を組みづらくなった。
航空機や新幹線、高速バスにできない内容を多く取り入れることが必要で、従来の常識を打ち破る内容や輸送も可能で、ゆっくり旅が楽しめ、利用者減が続いていたとしてもスローライフ社会が到来しつつある時代だからこそニーズが高まっていた。
欧米では寝台列車が多数残り、旅を楽しむ人たちやバックパッカ-が大人気で、神奈川県や埼玉県、茨城県等各自治体では復活に向けての活動が必要で、寝台列車は画期的に輸送力や内容、利便性の向上が期待でき、面識ない人同士が互いに意思や感情、思考を伝達し合える。
分割民営化で下関や亀山では現在だと全旅客列車が分断されてしまったが、あと3年で30周年となるからJR同士の統合を考えてよく、統合されれば関東の車両を関西へ転用して有効利用や甲種輸送回数の削減ができ、運賃計算上から好都合。
在来線は東日本で新幹線は西日本が経営すればよく、西日本と九州の統合は経済効果もある。
自動改札普及等で係員が旅客に相対する場面自体が著しく減少したこともあるが、多様な企画乗車券が発売されても周遊券や周遊切符みたいに使用条件が厳しくなって国鉄時代より使いづらくなったものもあり、各社間の繋がりが薄れ、会社間跨りで不便に。
動力集中方式見直し論も。車両増備費用が安く、編成が長ければ費用的に有利で、直流電化区間では12両以上、交流電化区間では10両以上、非電化区間では5両以上で客車や貨車当たりの有効積載量に優れ、車両整備に労力を要さず、車内での騒音や振動が少なく、客車に走行機器がないため柔軟に増結や減車ができ、2階建車導入や機関車交換で異なる電化方式の区間や非電化区間への乗り入れが容易で、機関車が先頭なら正面衝突時でも乗客被害を軽減できる。
話を秋田新幹線に戻す。現在だと「こまち」は大分平均時間が時間短縮されたが、バラバラなダイヤとか、グリーン車が4列シートであることまで非難の対象に。
ミニ新幹線の構想は国鉄時代からあり、当初は台車を交換して新幹線から在来線に入ることも検討されるも時間がかかりすぎることから、ネットワークの維持ができなかったり、建設費がかかるしても狭軌から標準軌に変えた上での直通に。
中国とロシアの間を直通の寝台列車は7時間程度もかけて非効率的な台車交換を現在でも続けている。
秋田新幹線の列車名を決めるための一般公募では「おばこ」や「たざわ」等と葉書に書いた人もいた。結局は確証がないにも関わらず現在の秋田県湯沢市出身という説に基づいて一般公募によって命名されるも、湯沢市内は走っていない。
田沢湖線には非電化時代だと急行に「たざわ」、電化されたら特急に名前を引き継がせた。秋田新幹線開業前なら秋田地区の和式気動車に「こまち」があり、新幹線の名前にしたら紛らわしいから「おばこ」に。
余談だが栃木県下都賀郡岩舟町(来月から栃木市になる)小野寺には小野小町の墓等があり、茨城県土浦市と石岡市にも小野小町の墓があり、この地で亡くなったとの伝承がある。