2017年3月18日土曜日に亀戸水神駅にて撮影。
亀戸線で活躍をしているが、大師線でも活躍をしている。
また、かつて現在の東武亀戸線は亀戸から越中島を経由して新橋までの延伸構想があったが、越中島支線の計画が始まった影響もあって計画が中止となった。
当初の亀戸線は群馬県や栃木県までも結ぶ路線の一部でもあり、新橋まで延びれば東海道への系統も運転されていたはずだった。
今の亀戸線は都会のローカル線で、緑の車両も登場して人気を集めている。
また、大師線の前身である西板線の復活は、無駄な建設費削減や住宅の密集の解消で復活可能ともいわれていたことがある。
更に、イギリスなら脱炭素やコロナ対策として廃線を復活させる動きがある。
詳細は、
https://www.alterna.co.jp/34978/
↑まで。
更に、ドイツなら廃線復活で集客効果が確認されている。
詳細は↑まで。現在の日本では廃線の営業を再開させるための法律がないのが問題だが、イギリスやドイツならあるのだろう。ならば日本でもそのような法律がないといけないし、初期費用を道路と同じ構造物の一環としている国が殆どなのにそれを日本がしないが、問題解決のため、道路と同じ構造物の一環としないといけない。
80年以上も真面目に生活して来て交通事故を起こして人生の最終段階で殺人者となって他人を不幸に陥れて人生を終える危険性を真面目に考えていない人が多すぎている。
だから高齢者の運転免許返納に、必ず生活できないとの意見が出る。
これも自分が高齢になったときの生活を真面目に考えていない結果である。
富山県や富山市ならヨーロッパ並みに公共交通は市民のためという認識が強く、予算を使って整備している。だから、「自動運転技術を発達させれば線路は不要」とする認識もある一方、定時性、省エネ、大量輸送に優れた線路に勝るものはないという議論もあるから公的構造物としての線路を考えないといけない。
石破茂氏の言葉を借りることとなってしまうが、フランスだと線路は収入の中で運賃収入は2割で残りの8割は公的支援。儲かるなら公共構造物である必要なく、北海道なら車が一台も走っていない道路が多く、あれでは大赤字だが誰も道路を廃止にしろなどと言わない。
今の日本は人口が1億2千万人だが、このまま行くと2100年には5200万人と半分以下になり、高齢化が進む。
こうなると車を運転できない人に大変不便になるのに当時からどこもかしこも誰もかれも何を考えていたのだろうか?
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