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関鉄キハ300

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joso

2003年3月16日日曜日に茨城県取手市の取手駅JR東日本常磐線のホームから撮影。手前は貨物用地の名残。今も残るキリンビール取手工場からは各地に貨物列車で麦酒を運んでいた。

「笑っていいとも!」で「関東地方の都県を答えよ」という問題で、正解したら長谷川(モデモ・静岡県)から発売された関鉄キハ300のNゲージ製品が賞品となっていたことがあったのを思い出してしまう。

常総線は1998年時点でも1992年に発生した事故の印象で見られていた。

写真のキハ300は国鉄の中古車で、1991年に国鉄清算事業団からも購入していた。

整備をよく行っていても旧式で制動の不緩解が時々あったともいわれている。

入線してきた新守谷発取手行が取手で停止せず暴走して車止めを飛び出し、そのまま建物の2階の壁を破り、先頭車が駅ビル店舗に突入して大破した。

事故に遭遇した編成はキハ300形2両とキハ800形2両の4両で乗客約900名。乗客1名死亡。

列車の駅進入前に運転士が窓から飛び降りて逃げ、250名以上が重軽傷。

原因は制動故障とも考えられ、非常制動も隣の西取手で作動させた後に発車しようとしたら制動が緩まず、運転士がブレーキ締め切りコックを閉めて制動を緩め、元に戻さずに発車してしまい、常用と非常の両系統の制動が作動しなかったという。

前記の西取手で制動が不緩解となり、運転士は異常時の取扱として保安制動締切コックを閉としたというのもあり、その際に車掌が扱った車掌弁を復位せず、保安制動がオンになっていたから制動系統の圧縮空気が車掌弁と保安制動締切コックの側穴から外部に放出され、制動シリンダーに空気が供給されず、制動が動作しなかったという。

当時の常総線は急激な乗客増で旧式車を修理しながら混雑時を中心によく使われ、勾配が極めて少なく、最大が西取手-取手間で3‰だったから事故に対する問題点が見出せなかったとも言われ、当時は、つくばエクスプレスなどなかった。

事故以降の関鉄はキハ2100形などの新製車を多く投入し、竜ヶ崎線にも新車を投入した。

日本なら線路へはあまりにも他の先進国との比較では少なすぎるし、揮発油税が会社に年間数億回って貰いたいと言われているのに一円も回らず、住宅と同じ扱いで有税とし、駅舎や線路、車両、信号、運行を一括して自前で全部行う必要があるのも誤り。

関鉄といえば、廃車後は竜ケ崎駅(龍ケ崎市)構内で2017年まで倉庫になっていた1900年製の貨車が三重県いなべ市にある貨物博物館が引き取って保存され、復元を計画している。本来は老朽化のため解体を予定していた。

(東京新聞・中日新聞より)自身はそれを2009年7月18日土曜日に見ている。

また、常総市水海道に有るキハ301は現時点では解体予定はないようだが、どうにか、どこかで修復された上で保存が求められている。

日本人には保存車にドイツ以上に文化財的な認識がなく、安易な解体は明確な目標を見失っていて、保存意欲が生まれず、必要なことや可能なことを最大限にしなかったことの象徴としか思えず、将来に禍根を残し、文化を消すのと全くの同義などという認識がなさすぎで、どれだけの人が何に思い入れがあるのか計算に入れておらず、本来なら共有財産で、相手が人間なら死体損壊で警察が逮捕する重罪で、埼玉県内では「西武博物館」開業が求められている程で、保存に詳しい人材の不足は悲劇で、日本の産業発展の歴史からみて、解体という結果となったら恥ずかしく、先人たちの知恵と汗の結晶を粗末にする結果となり、劣化まで放置してきたら残念で、「馬鹿者、何考えているのだ」と言いたいし、自滅行為でもあり、責任の取りようなく、いくらこき下ろしても足りず、専門家の意見を聞かないのは頭悪すぎで、実物への敬意が全くなく、何らかの形で保存の方法はあったし、誤った認識が共有され、傍に知識や技術を知る人や高学歴の方々もいる筈なので如何様にもなったに違いない。

福岡県なら国登録文化財の旧九鉄城山三連橋梁(筑紫野市)や内田三連橋梁(田川郡赤村)があり、九州歴史資料館ではパネル展などで県内各地の遺産の紹介を実施し、今後も県内の指定及び登録文化財の保存活用を推進とともに、近代遺産の大切さについても周知していきたいとしていて、県内には久留米市指定有形文化財の大川4号機、宮若市指定有形文化財のアルコ22号機もあり、国指定重要文化財のJR九州鹿児島線門司港駅本屋は2019年に復原・耐震改修事業が完了し、多くの方が訪れ、親しまれているという。

問題は日本の文化予算はフランスや韓国に比べて少なすぎることだが、本当に後世に残してほしいものばかりで、一概に金銭で語れず、保存が容易でないことは十分理解できるが、暮らしを豊かにした貴重な産業遺産で、このようなものに左程興味ない人にも身近な存在になれるし、このようなものは、歴史に学び、先輩の功績を引き継いでこそ、進歩する。

費用などは不必要な投資をしないこと、可能な限り最大限に解体回避のための努力、遊休資産とみなして課税対象にする税制もあり、産業遺産としての保存を積極的にさせたいなら無車籍車両へ税制見直しなど財務省がどうにかすること、市町村や文化財所有者と調整を図りながら保護、保存できなくなったら必ず廃棄処分せずに早期に他者への譲渡、保存会を立ち上げた上で会員有志から集めて充てること、即ちクラウドファンディングかそのような方式を取らないといけないし、戦後日本の産業発展における宝だから、各者に価値を再度見直さないといけない。 更に求められているのは国が官民を問わず地域総がかりで文化財保護に取り組むこと、地域の多くの人々の理解と参画、錆止めにサビキラー使用、最新保存技術の最大限活用などで賄わないといけない。

それでも、最近では関鉄100周年で鹿島参宮と常総筑波、初期の関鉄のデザインを復刻したバスが登場した。

https://trafficnews.jp/post/125702

鹿島参宮と常総筑波が合併に至った理由は両社とも京成系列となっており、基本的に常磐線の東側が鹿島参宮の路線で、西側が常総筑波となっていたが、逆も多く、両者が競合していたため、その解消もあった。その時存続していたのは鹿島参宮である。

 

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