あと5日でお正月ですが、もうすぐお正月という時期に相応しい内容として、本日は浅草仲見世記念日です。1885(明治18)年、東京・浅草の仲見世が新装開業。文明開化の時代に相応しく、煉瓦作りの新店舗139店が開店。東側に82、西側に57。1923年の関東大震災で倒壊したが、鉄筋の建物として再建。
- 江戸の縁起物――浅草仲見世助六物語/亜紀書房
Image may be NSFW.
Clik here to view. - ¥2,415
- Amazon.co.jp
本日はピーターパンの日です。1904年、イギリスの劇作家ジェームス・バリーの童話劇「ピーターパン」がロンドンで初演。
- ピーター・パン&ピーター・パン2 2-Movie Collection [Blu-ray]/ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社
Image may be NSFW.
Clik here to view. - ¥6,090
- Amazon.co.jp
そのほかの出来事
694年 持統天皇が飛鳥浄御原宮から藤原京に遷都。
728年 聖武天皇が「金光明経」10巻ずつ計640巻を諸国に与える。
784年 桓武天皇が長岡京に遷都。
920年 醍醐天皇の皇子・高明親王が臣籍に下り源姓を賜る。「醍醐源氏」の始まり。
1198年 源頼朝が落馬。これが元で翌年1月13日死去。
1279年 藤原爲氏が「続拾遺和歌集」撰進
1406年 足利義滿の妻・日野康子に「准母」の称号を与え、後小松天皇の母に準じる待遇とする
1831年 ダーウィンの乗った英海軍海洋測量艦ビーグル号が世界一周に出発
1890年 大阪鉄道王寺-奈良間(現関西線)開業
1897年 阪鶴鉄道池田(現川西池田)-宝塚間(現福知山線)開業
1915年 臨時南洋群島防衛隊司令官が「南洋群島小学校規則」公布
1922年 横須賀海軍工廠で世界初の航空母艦「鳳翔」竣工
1923年 虎ノ門事件。無政府主義者の難波大助が皇太子(後の昭和天皇)の乗る車に発砲。翌年死刑判決。
1924年 小樽市の国鉄手宮駅でダイナマイト爆発。死者87人。
1930年 蒋介石軍が第一次掃共戦開始
1931年 中国・瑞金に中華ソビエト共和国臨時政府が成立
1937年 満洲重工業設立
1944年 小磯國昭内閣が、戦歿者遺児に育英費を贈ることを決定
1945年 「ブレトン・ウッズ協定」が発効。国際通貨基金(IMF)と国際復興開発銀行(世界銀行)発足。
1946年 第一次吉田内閣が石炭・鉄鋼を中心に増産する「傾斜生産方式」決定
1949年 オランダがインドネシアの主権を抛棄しインドネシア連邦共和国成立
1951年 法隆寺金堂壁画の模写が完成し落慶法要
1956年 NHKと日テレにカラーテレビ実験放送許可
1958年 「国民健康保険法」公布
1960年 第二次池田勇人内閣が「国民所得倍増計画」閣議決定
1966年 黒い霧解散。内閣発足から3週間で、汚職・腐敗事件続発により第三次佐藤内閣が国会召集の当日に衆議院を解散。
1968年 都営三田線巣鴨-志村(現高島平)間開業
1979年 アフガニスタンで親ソ連派のカルマルがクーデター。ソ連の軍事介入で首都カブールなどを制圧し政権掌握。
1980年 「国鉄再建法」公布・施行
1982年 加藤保男が厳冬のエベレストへの初の単独登頂成功。帰路消息を絶つ。
1983年 新自由クラブと聯立して第二次中曽根内閣が発足
1985年 「祝日法」改正。祝日に挟まれた平日が休日に
1989年 将棋の羽生善治が竜王に。10代として棋界初のタイトル保持者。
1999年 無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律施行。
2007年 ベーナズィール・ブットー元首相暗殺。
2007年 キャラクター・ボーカル・シリーズ「鏡音リン・レン」発売。
2008年 イスラエルがロケット弾攻撃への報復としてガザ地区を空爆。後に侵攻。
2008年 愛知県犬山市を走る名鉄モンキーパークモノレール線がこの日をもって営業廃止。
Image may be NSFW.
Clik here to view.
都営三田線等の目黒駅前では目黒駅前地区第一種市街地再開発事業を計画。以前は地下鉄開業等で目黒が第二の渋谷になると話され、期待されている筈だが、できれば再開発に反対したい。またもや高層建築が造られるが、高層建築が免震構造になっていても横揺れに効果あるが、縦揺れには効果がない場合が多く、強風時での地震では大きな揺れになることもあり、高価である等の問題が完全無視され、既存住宅地だけでなく各地に建てられ、住環境や景観を壊すのに新たなる建築をあまりに容認しすぎで、千葉県市川市等の東京郊外でまだまだ発展が必要な地域が多いのに発展しない地域もあり、高層住宅は安全性も心配。
東京都荒川区西日暮里では富士見坂が正真正銘の富士見坂でなくなろうとしており、東京の熱が海風で荒川に沿って埼玉県熊谷市へ持って行かれ、熱中症患者や死者が増えたこともあり、東京都心以外でビル空室率上昇の最大原因は高層建築の過剰供給で、先進国との比較では日本は問題。規制が弱いという意見もあるが、皆無。
汐留が貨物駅だった頃は海からの風で都心が冷やされたが、現在は高層建築が壁になっているという問題が指摘されながら無視され、文化財的価値のある建築物が相次いで姿を消そうともしており「東京にこれ以上に高層建築を造るな」とか「高層建築より緑地を」と訴えていきたい。昭和の情緒あふれる町並みを壊し、無機質なコンクリートの塊で町が作られるのは止められないかもしれないが、昭和の情緒あふれる町並みを壊すなどすれば何か大きなしっぺ返しが来るし、人類は自然の恩恵を受けて生きてきたことを再考して自分たちの行動の改善が必要。
どうしてもどこかで再開発したくて高層建築を造りたいなら京葉線二俣新町駅前(千葉県市川市)がいい。二俣新町駅前北側だと私有地があっても建築物が少ないから問題も少なく、陸の孤島から脱出もできる。
高層建築の増えすぎ自体も問題で、逆に老朽化と維持費増大を待って高層建築削減が必要。過剰供給は悪く、災害時や停電時に高層階の住民の避難や経年劣化による維持費や解体費の問題等が議論されても無視され、各地で駅周辺が再開発で随分雰囲気が変わり、高層住宅が増えてきたが、高層住宅前に高層建築が建ち、工事していた例もあり、「私たちからお日様を奪わないで!」という看板まで立つ程おかしなことも。
日本では急速な高齢化でもイギリスでは集合住宅を税金で順次解体しており、新たに集合住宅建設を禁止している例に気付かぬことを藻谷浩介氏が指摘。高層建築は電波障害やビル風、転落事故等も起こし、鳥の生活権を奪い、災害時の避難に時間かかり、震災時にはエレベーターが止まるため高層階まで階段で上る必要があり、高層階だと窓を開けられずに洗濯物が干せなかったり、朝ならエレベーター待ちができたりもする。
これ以上絶対に解体しないで貰いたいのは復興建築(大正12年の関東大震災の後に建設された耐震耐火を目的とした鉄筋及び鉄骨コンクリートの建築)。頑丈で無骨でありながら時代の文化を反映した外観などが懐かしく、絶対に街の目印や象徴になるような建造物として残って貰わないといけないし、今後造られる建築物は復興建築を学べという声も。
東京地下鉄有楽町線沿線の中央区に残る復興建築は学校が多く、東京都中央区等に残る復興小学校みたいな建築物は絶対に残らないといけないが、文化財としての指定もないことが多い。
話を都営三田線に戻すが、都営三田線は田園都市線や東武東上線に直通する構想があった。東急側なら既存の桐ヶ谷(大崎広小路-戸越銀座間にあった)-五反田間は廃止し、折返駅は長津田を予定していた。昼間時は長津田-泉岳寺-(三田線)-和光市-上福岡で直通運転の予定で、開業時に投入されていた6000系は当初「大和町(現和光市)」、「志木」、「川越市」という前面行先表示もあった。要するに埼玉県と東京都、神奈川県の一都二県の直通運用を予定していた。
昭和43年の都市交通審議会答申第10号において6号線は桐ヶ谷方面-大和町方面が大宮市西部-浦和市西部-清正公前(現白金高輪)-港北ニュータウン(横浜市)間に改められた。昭和46年の港北ニュータウン計画当初には計画の中に都営地下鉄6号線を西馬込から港北ニュータウンを経由して横浜線中山迄の延伸計画が盛り込まれ、当時の港北ニュータウン計画では横浜市営4号線とともに東京6号線が計画の根幹をなしており、かなり具体的な駅の位置ともに東京6号線延伸が必須という書き方があるが、昭和60年7月11日の運輸政策審議会答申第7号でこの計画は目黒止まりとなり、東急目蒲線(仮称東急都心線、現目黒線)と相互乗り入れが確定し、三田線の港北ニュータウン延伸計画は撤回。
この結果東急との乗り入れは当初計画の泉岳寺線や池上線、田園都市線から目黒線へ路線は変わっても実現し、最終的に東京6号線は西高島平-目黒という路線に。港北ニュータウンへ延伸計画は平成20年6月22日に乗り入れ先の東急目黒線が武蔵小杉から日吉まで延伸し、連絡する横浜市営地下鉄グリーンラインが日吉から港北ニュータウンを抜けて中山までを結ぶという形に変化して実現。
北側については西高島平から荒川を橋梁で渡り、新大宮バイパス上下線間にあった当時未開通の自動車専用道路予定地を活用して北上し、西浦和を通り、当時の大宮市西部までの延伸計画もあったが埼京線開業の影響もあり、昭和60年7月11日の運輸政策審議会答申第7号でこの計画は削除され、平成2年以降、同経路に首都高速5号池袋線の延伸区間と首都高速埼玉大宮線が順次開通。
平成12年9月26日迄東京都の公式文書では三田線の正式な起点は上記の理由から泉岳寺となっており、そのため関係官庁に届け出る文書では未成線である泉岳寺-三田間を加えた実キロ数が記入していたものもあったが目黒開業以降は名実ともに正式起点を目黒に改め、実キロ数も変わった。
都営三田線の直接のルーツとしては昭和32年の建設省告示第835号「東京都市計画高速鉄道網」で5号線(現東京地下鉄東西線)の分岐線として示された大手町-下板橋間の計画。昭和37年の都市交通審議会答申第6号において分岐線は6号線として切り離され、その後5号線を営団が、6号線を東京都が建設することに。本答申では6号線は西馬込方面より五反田・田町(三田)・日比谷・春日町・巣鴨および大和町(後の板橋本町駅付近)の各方面を経て上板橋および志村(現高島平)の各方面へ至る路線として示され、軌間も1435mm(標準軌)を採用予定で、西馬込-泉岳寺間と馬込検車場(現馬込車両検修場)は浅草線と共用の予定だったが、計画については昭和39年の答申により大和町(やまとちょう・板橋区)-上板橋間を取りやめて志村から東武東上線の大和町(やまとまち)まで延伸、並びに泉岳寺-西馬込間は1号線(浅草線)の分岐線とし、6号線は泉岳寺から別線(東急泉岳寺線の路線名)で桐ヶ谷へ延伸し、池上線を経由して田園都市線(当時・現大井町線)と接続するよう改訂。これに伴い軌間も1067mm(狭軌)に変更。その後東武から「上板橋を乗り入れ改良する余裕がない」との申し入れがあり、東武が志村-大和町駅間の連絡線(東上本線支線)を建設して接続する計画に変更し、馬込検車場の共用ができなくなったため、三田線には専用の車両基地が必要になり、新たに志村検車場を計画に加えた。
上記の経緯から当初は路線や車両の規格を決定する際、車体寸法や保安装置等の面で東武の規格を踏襲するも昭和40年に東武東上線は8号有楽町線に(都心部へは遠回りになり、池袋を通過しないことは池袋衰退になると懸念したため池袋経由を東武が希望した。伊勢崎線が乗り入れる日比谷線は浅草を経由しないことが浅草衰退になった経験もあったため。)、東急田園都市線も距離的にも時間的にも乗客の利便増進に資するとの東急の判断で11号半蔵門線(ただし当時は東急玉川線の規格を踏装して銀座線規格で計画)への乗り入れを目指す計画に変更され、池上線の計画は実現せず、三田線直通計画は宙に浮いてしまい、東武や東急に東京都は抗議を行ったが結局東急と東武の意向に押し切られ、これ以降、三田以南は計画未定のまま高島平-三田間のみ着工になり、高島平-西高島平間は東武の連絡線区間は東京都が免許を譲り受けて着工に。
当時の案ダイヤ中で想定された列車については乗り入れ区間は東武側の折り返しは上福岡で折り返す列車を多数設定し、一部川越方向も走らせるつもりで志木でも折り返し可能だったが案ダイヤでは上福岡折り返しを中心としていた。
- [パシナコレクション]都営地下鉄「三田線」6000形 [DVD]/エースデュースエンタテインメント
Image may be NSFW.
Clik here to view. - ¥4,200
- Amazon.co.jp
- ▽【新品】TOMY プラレール限定車両都営三田線6300形 101105/タカラトミー
Image may be NSFW.
Clik here to view. - ¥価格不明
- Amazon.co.jp
- TOMY プラレール限定車両都営三田線6300形/タカラトミー
Image may be NSFW.
Clik here to view. - ¥価格不明
- Amazon.co.jp