本日は飛行機の日です。1903年、アメリカのノースカロライナ州キティホークでウィルバーとオーヴィルのライト兄弟が動力飛行機の初飛行に成功。 この日には4回飛行し、1回目の飛行時間は12秒、4回目は59秒で飛行距離は256m。
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本日は建国記念日(ブータン)です。1907年のこの日、ウゲン・ワンチュクがブータンの初代国王に即位。
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そのほかの出来事
1096年 永長に改元。1097年に承徳に改元。
1164年 後白河上皇が平清盛に造営させた蓮華王院(三十三間堂)の落慶法要。
1632年 江戸幕府が大名監視の為の「大目附」設置。柳生宗矩ら4人任命。
1764年 伝馬騒動。人馬不足時に補助をするよう指定される「助郷」の増設に反対する信濃・上野などの農民数万人蜂起。幕府は助郷増設中止。
1819年 南米での革命軍の各派領袖が集結し、シモン・ボリバルを大統領兼最高司令官とする大コロンビア共和国樹立宣言。
1864年 筑波山(茨城県)で挙兵した水戸藩尊攘急進派・天狗党が追討軍に追われて敦賀で降伏。関係者300人以上斬罪。
1871年 官庁吏員の靴履き登庁許可
1880年 福岡・秋月藩士・臼井六郎が両親の仇を打ち自首。1873年に「仇討ち禁止令」が出て7年目で史上最後の仇討ち。
1881年 大日本水産会設立
1884年 解党論を主張していた立憲改進党総理・大隈重信脱党
1892年 「帝国議会紀要」を掲載して議会を侮辱したとして「東京日日新聞」発行禁止に
1892年 マリインスキー劇場でバレエ「くるみ割り人形」初演
1899年 東京市の上水道工事が完成し新宿の淀橋浄水場で落成式
1902年 教科書疑獄事件。小学校教科書の採定を巡る府県担当官と教科書会社の贈収賄事件発覚。
1920年 国際連盟が、赤道以北の旧ドイツ領南洋諸島の統治を日本に委託
1938年 陸軍省が支那事変(日中戦争)徐州戦で戦死した西住小次郎戦車隊長を軍神とする発表。日華事変初の軍神。
1943年 東條内閣が競馬開催中止決定
1945年 「衆議院議員選挙法」改正公布。婦人参政権・大選挙区制など規定。
1946年 「吉田内閣打倒国民大会」開催。翌年の2.1ストに発展。
1947年 ビルマが北京の中共政権承認。共産圏以外では初。
1948年 国連がイスラエルの加入要請拒否
1950年 神奈川県横浜市の保土ヶ谷公園に日本初のサッカー場完成
1952年 京阪電鉄が戦後初の電車内暖房開始。
1957年 アメリカが大陸間弾道ミサイル(ICBM)「アトラス」発射実験成功
1957年 沖縄県真和志市が那覇市に編入
1957年 上野動物園内に日本初のモノレール、東京都交通局上野懸垂線上野動物園東園-上野動物園西園間開業。
1961年 インド軍によってポルトガル領ゴア占領。
1967年 オーストラリアのハロルド・ホルト首相行方不明。
1967年 呉市電川原石-長浜間11.3km廃止
1969年 文部省が「大学紛争白書」発表
1972年 競馬の有馬記念での売り上げが、1レースでの売り上げで初の100億円突破。
1972年 国連統計で東京の物価が世界一に。
1982年 NHKがテレビ音声多重放送の本放送開始
1986年 鳥取地裁が夫婦間でも婦女暴行罪が成立すると判断
1987年 千葉県東方沖でM6.7の地震。死者1名。
1989年 ルーマニア西部のティミショアラで大規模な民衆デモ。全国波及。
1991年 ゴルバチョフ・ソ連大統領とエリツィン・ロシア大統領がソ連邦の年内消滅で合意
1992年 1974年の多摩川水害訴訟で原告住民側が勝訴。26日勝訴確定。
1996年 日本大使公邸人質事件。ペルーの日本大使公邸に過激派組織MRTAのメンバーが武装して入り込み仲間の釈放を要求して立て籠もり。
1996年 W3CがCascading Style Sheets level 1(CSS1)勧告 W3C
2000年 京福電鉄永平寺線東古市(現永平寺口)でブレーキ故障により電車同士が正面衝突(松岡町・現永平寺町)。運転士1人死亡(翌年6月24日にも事故)。
2003年 ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還初公開。
2010年 取手通り魔事件(茨城県取手市)
2010年 チュニジアで警官の仕打ちに抗議するため青年が焼身自殺。これがきっかけでチュニジア各地でデモが発生し、翌年1月に独裁を続けていたベン=アリー大統領亡命(ジャスミン革命)。
2011年 ソニー・コンピュータエンタテインメントよりプレイステーション・ヴィータ発売。
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呉市電廃止後、車両の何両かが伊予鉄、岡山電軌、仙台市電に移籍。伊予鉄では平成になってからも元呉市電が使われ、呉市電と同型車が伊予鉄の自社発注車にいた。昭和36年からワンマンカーを走らせる等生き残りに必死だったが呉市では既に路線バスも運転しており、バスとの統合が得策と判断したためか結局は赤字に勝てず廃止。現在は呉市電があった当時を知る呉市民は大分少なくなったと思うが、現在でも「潜在需要はあっただろ」と思っているのがいる。
国は道路偏重をやめないといけない。道路整備予算は年間一兆円を上限にしないといけないのにしないのは矛盾で、人々に皺寄せが回るだけで経済効果がなく逆効果。道路やダムの建設は所管する部署と財源が別で利権が絡むから線路に金が出ないこと等はおかしいから法改正が必要で、改正で殆どの路線が生き残れる。
道路整備予算を数%使い、沿線住民や複数の団体が話し合って前向きに考える必要があり、線路への公的支援は近代化設備整備費補助金の名目で年間約25億円しかないので、もっと出さないといけない。
同じ交通基盤整備として道路に年間数兆円も出し、道路中心主義は自動車社会助長を進め、車の購入費用や燃費、維持費、税金としてお金を消し続けてきたことは反省し、車に頼らず、線路を中心に徒歩、二輪車、バス等の交通手段を適時使い分けられる交通機構構築が必要。 国会議員は欠席で無給にすると日給計算で三割程度になり、国会はまだ開店休業状態。人件費半減と言わず審議も何もなくても出費が出るからその金額を議員の給料やボーナスから返金するようにすればいいだけ。 線路へ抜本的対策等がなく、運賃収入だけに頼らざるを得ず、国の道路中心主義は終わらず、本来玉虫色に道路整備予算をばら撒く時代は終わっている。
どこもかしこも路面電車の経営に消極的だった。廃止を考える前に企業や自治体等も経営参加、他社や専門家とで合理化や増収の協議会や委員会の設置、潜在能力の最大限活用、社有財産貸出、国が公務員の人件費を中小企業並に削減、上下分離方式採用、新規出資者開拓等による授権資本充足、金融機関から安定的に資金調達できる環境整備、不正乗車で通常の十倍以上の運賃徴収、もっと企業などに使って貰えるようダイヤ改善、線路の整備に特定財源設置、周辺住民への意識改革等が必要だった。
全国的に路面電車撤去の世論が広がりを見せていた昭和30年代だと東京都電では昭和37年から寿命が十年程と短い8000形という軽量経済電車を大量投入。現在も江東区内では都営バスの乗車率が高く、本数も多いため都電廃止は誤りだったとの声が絶えないが、廃止を進めたかった理由は進路が固定されているので自由な進路を作れないことや地下鉄やバスに代替えを進めて都電とバス、地下鉄の中から都電をなくして経営の合理化のため。
言うまでもなくいなまお呉市電全廃が惜しまれているのだが、欧米では地下鉄が開業しても路面電車を補完用として残す都市もあり、高価な地下鉄建設を辞めてすぐスクラップビルドという方向に転換をしている程で、モノレールやゆりかもめのような新交通は嫌がられ、日本では夜行列車と共に路面電車を安易に廃止しすぎ。
神戸市電は立体化と高速化を昭和37年に発表したが当時の運輸省も建設省も理解できなかったせいか注目されても実現できなかったなど欧米と日本との差は歴然としており、某書籍では都電を残し、軌道内自動車進入禁止と電車優先信号設置、高性能車投入なら地下鉄の3分の1程の時間で移動でき、地下鉄より3倍便利な面交通機関として生まれ変わったという調査結果もある。
旧城東電車も専用軌道が多かったのだから残せばよかったとか、お年寄りに優しいだけでなくヒートアイランド現象にも無縁だったとか、都電を復興しなければ未来の東京は惨めになると故実相寺昭雄映画監督は荒川線以外の廃止を非難。
さらに、呉市営バスは現在は事業が廃止され、広島電鉄に路線も車両も譲渡された。
かつて呉線にも夜行列車は多数走っていたが、現在はない。日本中が新幹線だけでは駄目で新幹線への収斂は外から見れば移動手段の選択肢を減らすため遅い旅があってもよく、欧米では寝台列車が多数残っており、旅を楽しむ人たちやバックパッカ-が大人気なので各自治体では議会で復活を取り沙汰して復活への活動が必要。
寝台列車の廃止しすぎが惜しまれるが寝台列車は面識ない人同士が互いに意思や感情、思考を伝達し合えるのが魅力で、新幹線や航空機はあり得ない。
動力集中方式の見直し論もある。非電化区間では5両以上、直流電化区間では12両以上、交流電化区間では10両以上なら車両増備費が安く、客車と貨車当たりの有効積載量に優れ、点検に労力が無く、車内での騒音や振動が少なく、走行機器がないため柔軟に増結と減車ができ、2階建車導入が比較的容易で、機関車交換で違う電化方式の区間や非電化区間への乗り入れに有利で、機関車が先頭なら正面衝突時でも乗客被害が軽減できる。
夜行列車は高速バスや航空機と違い、列車の運行と一緒に線路や駅舎、信号等の管理の必要性が誤り。
分割民営化で積極的に営業活動できなくなり、潜在需要も商機も多かったのに機会を最大限生かし切れていなかった。赤字だからってローカル線や路面電車も廃止しすぎで、今のままでは将来が惨めになるので「今」ならと思っている。例えば指定席のみで使えるようにするとか急行や特急の快速格下げ等が必要だったが、今からでも遅くない。
東海道も分割民営化の犠牲者で熱海から見ると東向きの流動が多く、関東大都市圏を構成する市町村も熱海市迄となっているのに丹那トンネル以西では熱海を越える流動よりJR東海管内で完結が大部分のため車両運用の効率性や運行費用といった面から熱海を列車運行の主な基点とする運行体系にも合理性があるが、熱海を跨る流動も一定数あり、このような乗客への便宜を図って付属編成5両を用いた修善寺発着の特急「踊り子」や朝夕の僅かな直通があっても現在は東海が管轄する御殿場線直通がないのは神奈川県民にとって非常に不評であり不便。
平成16年10月16日改正以降は大部分が東日本管内で完結に。丹那トンネル東西で流動の太さに差異があり、東日本も直通列車削減について需要が少ないと説明しているが、実際は東京・横浜方面からの観光・保養客の流動を見ても東京の奥座敷として知られる熱海や湯河原、箱根(小田原経由)、伊東線・伊豆急線方面が主な目的地だが、改善が望まれる。
NTTだと東日本と西日本にしか分かれていないのにJRは別れすぎは問題。 郷愁溢れる列車の良さをもっと伝える必要があり、廃止直前にも存続希望の声が多く、復活希望の声も。
夜勤職員数や夜勤手当の削減等が成長を阻害し、退化させ、内容が以前より悪くなった面も指摘され、航空機や新幹線、高速バスにできないことを多く取り入れた車両が必要で、従来の常識を打ち破る内容や輸送も可能。移動をもっと楽しめるものがあってもよく、利用者減が続いていたがスローライフ社会が到来しつつある時代だからこそニーズが高まっていた筈だ。
さらに5年すれば分割民営化から30周年となるなら問題解消のため近いうちにJRとJRの統合を考えてよく、統合で亀山や下関等で全列車分断の問題が解消され、JR貨物による甲種輸送回数が削減でき、運賃計算上からも好都合で、関東の車両を関西へ転用できて車両の有効利用にもなり、在来線は東日本で、新幹線は西日本が経営すればいいとされ、西日本と九州の統合は経済効果も。
自動改札普及等で係員が旅客に相対する場面自体著しく減少もあるが、多様な企画乗車券が発売されても周遊券や周遊切符みたいに使用条件が厳しくなって国鉄時代より使いづらくなったものもあり、各社間の繋がりが薄れ、夜行列車は分割民営化で廃止に拍車がかかった。 分割民営化は下関等を跨る列車は分割民営化前と同様に直通運転が継続されても改正の度に直通が減り、平成21年3月には下関を跨ぐ定期列車全廃等会社間跨りで不便を強いられることが増え、寝台列車は思惑の違いから改善が進まず、裏目に出ている。