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まなみのりさ・岡山みのりちゃんのお誕生日

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本日は岡山みのりちゃんのお誕生日です。22歳になりました、おめでとうございます。苗字は岡山ですが、広島県出身。日曜日生まれ。当日は、別の記事にも記しましたが、当時48歳だったTBSの秋山豊寛記者(当時)を載せたソ連のソユーズTM11号が打ち上げられ、日本人初の宇宙飛行に成功した日です。


まなみのりさの構成員。まなみのりさは日本の女性3人組アイドルユニット。アクターズスクール広島出身。平成19年8月8日、CANdiscから「I DOL DAMA☆C」(アイドルだましい)でデビュー。


団体名は3人の名前「まなみ」と「みのり」、「りさ」の合成。


平成24年8月5日 には東京アイドルフェスティバルに行きました。最近では、まなみのりさが注目されていると実感。東京アイドルフェスティバルでは、まなみのりさのライブを見ることなく終わりましたが、会場付近の公園で三人とすれ違いました。しかし、まなみのりさは平成23年2月20日 等に二度見ています。


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AKB48からは田名部生来ちゃん石田晴香ちゃん が本日。それぞれ20歳と19歳になりました、おめでとうございます。


田名部生来ちゃんは滋賀県近江八幡市出身。Mousa所属。水曜日生まれ。石田晴香ちゃんは埼玉県出身。ホリプロ所属。木曜日生まれ。辰己絵莉花さん(声優)とは生年月日が同じ。


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そのほかには島津久光、三笠宮崇仁親王、高峰三枝子、マリア・カラス、山崎努、寺島達夫(元東映)、権藤博(元中日・元横浜監督・元中日コーチ)、太地喜和子、夏木ゆたか、細野不二彦(漫画家)、けらえいこ(漫画家)、奥野真哉(ソウル・フラワー・ユニオン)、中西圭一(クレイジーケンバンド)、新崎人生(プロレスラー)、深江卓次、渡辺剛(作曲家)、デビッド・バッティ(サッカー)、近藤光(アニメプロデューサー)、小坂憲央(山形放送アナ)、松嶋尚美(オセロ)、吉崎観音(漫画家)、フランチェスコ・トルド(サッカー)、サイモン猪木(新日本プロレス社長)、木内希(元北海道テレビアナ)、モニカ・セレシュ(テニス)、ヤン・ウルリッヒ(自転車プロロードレース)、六車奈々 、友永朱音(声優)、野村真季(テレ朝アナ)、後藤正文(ASIAN KUNG-FU GENERATION)、細木美和、ジェニファー・ロビンソン(フィギュアスケート)、河島あみる 、宮本耀子、クリス・ウォルステンホルム、森実友紀、仁後真耶子(声優)、三橋直樹(元横浜)、ユナク石鍋正寿安保貴史新部宏美 、樋口賢(中日)、村田莉清水富美加 (ファッションモデル)、水瀬いのり (声優)、ピース(日本で初めて人工哺育に成功した北極熊)、眞田一航近藤真美 、西田亜沙子(アニメーター・キャラデザイナー)等も本日がお誕生日です。おめでとうございます。


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権藤博氏(金曜日生まれ)は今年は中日ドラゴンズコーチだった。たった一年間だけでの実績を残してはいたが、退団。昨年監督に復帰した高木守道氏とは現役時代の同僚であり、先輩だったが、犬猿の仲だったらしい。ならば「高木が退団しろ」と言われたことも。


佐賀県鳥栖市出身。同じ九州出身である故稲尾和久氏(元西鉄)を手本としていた。現役時代の背番号は20。後に星野仙一氏が受け継いだ(星野氏は当初22)。現在のように「投手分業制」を確立させたきっかけは昭和36年における権藤氏の登板過多。生前の頃はアイデアマンとして知られ、現役時代に中日で権藤氏を教えていた故近藤貞夫氏の発案による。


一年目は新人王を取り、35勝もしていたが結局は7年で82勝止まり。一時期は打者に転向。


平成10年、横浜ベイスターズは横浜としては初で、大洋時代からを含めれば38年ぶりの優勝。権藤氏は、なぜか昭和35年の大洋優勝に関することはあまりよく覚えていないらしい。


平成10年の日本シリーズは史上初の投手出身同士監督の対決。リーグ優勝は全球団勝ち越しの完全優勝。佐々木主浩が優勝投手となり、最後は新庄剛志 の三振で試合終了。進藤達也のタイムリーヒットが印象に残っている。


優勝した場所は甲子園球場で、奇しくも昭和35年の大洋優勝時も同じ。胴上げのときは両手で「1」をかざしていた。これは一回優勝したという意味。


日本シリーズは第二試合と第三試合で負け、昭和35年の再現のようにストレート勝ちはならずも日本一。その折の胴上げでは両手がグー。


翌年「はなまるマーケット」にも出演。この年に優勝したら「片手ではなまるをする」と公約したが実現ならず。


監督三年目の平成12年、千葉ロッテから小宮山を獲得、プロ野球では小宮山と同期に入団した佐々木の穴埋めが課題だった。その中では矢野や木塚、横山などをポストとする案もあったが、一番期待されていたのはラファエル・ベタンコート投手。佐々木の22を受け継いで意欲満々だったというが、一年で解雇。シーズン終了後は佐々木の穴を埋められなかった責任を取って辞任と話し、いずれ横浜監督に復帰を希望する旨も示していたが、実際は当時横浜球団社長だった大堀隆氏と兄弟のように蜜月だったが、他のフロント陣との対立もあったためらしい。


横浜監督就任時の野手陣はいわゆる「マシンガン打線」の絶頂期で、投手起用法さえしっかりしておけば細かなサインプレーがなくとも得点を重ねて勝つ力はあったが放任主義や審判絶対主義的な形式が時を経るごとに球団内で軋轢を生み、特に野手陣との亀裂が深まった。象徴的なのは平成12年6月18日の対広島12回戦で相手の右投手ネイサン・ミンチーに対し、左打者の駒田徳広に代えて右打者の中根仁を代打に送ったことでプライドを傷つけられた駒田が試合中に帰宅という造反事件。駒田はこの平成12年に戦力外通告を受け、他球団で現役続行を希望するも誰の手も差し伸べられることなく現役引退。平成13年1月末だとエクスポズが興味を示していたが、辞退。


長嶋茂雄氏は平成14年時点でも巨人監督として残るつもりもあり、その折には権藤氏が巨人コーチ就任の話もあったが長嶋氏が残らなかったため就任ならず。幻の球団「ライブドアフェニックス」では権藤氏のコーチ就任も決まっていた。


平成21年12月7日には「笑っていいとも!」のテレホンショッキング出演。前記した佐々木主浩氏の紹介による。


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