1987年に登場した。当時は岡山県民に非常に大好評を得ていただろう。
1987年7月1日に小峰書店から発行された「JRあたらしいでんしゃずかん」の写真より。その本は題名を「あたらしいでんしゃ」としながら、写真で紹介されている車両には気動車や客車、機関車、若干旧式の車両も多い。
213系は神奈川県などの横須賀線や総武快速線への投入計画もあったと言われている。
初期だとまだ分割民営化前だったため、東急車両製造での製造分は横須賀線で試運転もされていた。これは国鉄時代だと当たり前だったが、長距離の自力回送や広域転配も分割民営化でやりにくくなり、寝台列車を相次いで廃止させ、甲種回送の回数を増やす必要性が生じ、運賃計算上からも不都合になり、自動改札普及などで係員が旅客に相対する場面自体が著しく減少し、多様な企画乗車券が発売されても周遊券や周遊切符みたいに使用条件が厳しくなって国鉄時代より使いづらくなったものもあり、各社間の繋がりが薄れ、下関(山口県)や亀山(三重県)で全旅客列車が分断という問題も残した。詳細はこちらへ。
だが既に30周年以上となったから、JR同士の合併で在来線はJR東日本で、新幹線はJR西日本が経営すれば良く、JR西日本とJR九州の統合は経済効果もある。
石破茂氏の言葉を借りてしまうが、北海道なら車が一台も走っていない道路が多く、あれでは大赤字だが誰も道路を廃止にしろなどと言わないのに矛盾。今の日本の人口は1億2千万人だが、このまま行くと2100年には5200万人と半分以下になり、高齢化が進む。
「自動運転技術を発達させれば線路は不要」とする考えもあるが、定時性、省エネ、大量輸送に優れた線路に勝るものはないという議論もあるから公的構造物としての線路を考えないといけない。
線路はどこまでも自助努力を求める構造物ながら国や自治体の対応も問題。フランスだと線路は収入の中で運賃収入は2割で残りの8割は公的支援だが、日本はそうでないことが災いで、儲かるなら公共構造物である必要ない。
初期には宇野線で213系の9連か12連の快速も存在。瀬戸大橋が開業したら「マリンライナー」で香川県にも乗り入れしたのはご存じの通り。
1988年以降はJR東海に5000番台が投入された。
1989年に大阪府地区に登場した221系や「スーパーくろしお」や「やくも」のクロ380の前面形状は「マリンライナー」に使用されたクロ212の流れを汲んでいる。
自身は2013年に広島県内のJR西日本山陽線内で乗ったことがある。転換式の座席だけに、車内の高級感が非常に印象的だった。
弊ブログ発展のため↓のクリックもお願いします。