(「今日は何の日~毎日が記念日~」等の記述を引用しています。)
本日はバイキングの日です。793年海賊バイキングの活動が最初に記録に現われた。リンディスファーン島の修道院を襲撃し、スカンジナビア人によるイングランド侵略の始まり。
本日は世界海洋デーです。国連が2009年から実施する国際デー。
1992年6月8日にリオデジャネイロで開かれた地球サミットでカナダ代表が提案して以来「世界海洋デー」として非公式に実施されていたが2009年から国連の記念日に。
本日は学校の安全確保・安全管理の日です。大阪府教育委員会が2002年制定。2001年のこの日、池田市の小学校で児童殺傷事件が起きた。
本日は大鳴門橋開通記念日です。1985年のこの日、鳴門海峡を跨いで四国と淡路島を繋ぐ大鳴門橋開通(徳島県・兵庫県)。
そのほかの出来事
452年 フン族の王アッティラがイタリア侵入
806年(大同元年5月18日) 第51代天皇・平城天皇即位。
1571年(元亀2年5月16日) 織田信長が長島一向一揆の拠点・願証寺を攻撃するが氏家卜全ら多くの戦死者を出し敗退。
1588年(天正16年5月15日) 豊臣秀吉建立の方広寺大仏殿完成。
1648年(慶安元年4月17日 日光杉並木の20万本の植樹完了(栃木県)。
1672年(寛文12年5月13日) 小石川の水戸藩邸に「大日本史」を編纂するための施設・彰考館開設。
1758年 ルイブールの戦いが始まる。
1776年 トロワリヴィエールの戦い
1783年 アイスランドでラキ火山が噴火
1794年 テュイルリー宮殿で最高存在の祭典開催
1808年 ミュンヘンでヴィルヘルム1世とカロリーネ・アウグステ・フォン・バイエルンが結婚
1867年 オーストリアハンガリー帝国成立
1873年 石高制を廃止し、一率の反別課税制に。
1876年 全国の道路を国道・県道・里道に分けそれぞれを1-3等に級別。
1878年 日本の銀行の初の海外店、第一国立銀行釜山支店開業。
1895年 「日露通商航海条約」調印
1896年 フランスのド・ポールが成層圏発見
1898年 阪鶴鉄道宝塚-有馬口(現生瀬)間(現JR西日本福知山線)開業
1905年 ルーズベルト米大統領、日露両国に講和会議開催呼びかけ。
1924年 ジョージ・マロリーがエベレスト登山中行方不明
1924年 茨城県で鹿島参宮鉄道石岡-常陸小川間開業(現在廃止)
1926年 スペインの建築家、アントニ・ガウディが路面電車に轢かれ2日後死亡。
1928年 蒋介石が率いる中国国民党北伐軍が北京入城。国民政府が中国全土ほぼ統一。
1929年 バチカン国旗制定
1937年 カール・オルフの「カルミナ・ブラーナ」がフランクフルト・アム・マインの市立劇場で初演。
1939年 法隆寺壁画の模写開始(奈良県)。
1942年 軍事費不足を補う為割増金附き切手債券「弾丸切手」発売
1942年 日本軍がアリューシャン列島のアッツ島を占領し「熱田島」と改称
1942年 第二次大戦でナチス・ドイツ軍が北アフリカのトブルク占領
1942年 日本の伊号第二一潜水艦と伊号第二四潜水艦がシドニーとニューカッスル砲撃
1943年 日本海軍戦艦「陸奥」が呉港沖柱島泊地に停泊中爆発事故で沈没
1945年 最高戦争指導会議で採択された「今度採るべき戦争指導の基本要綱」で本土決戦方針決定
1947年 日本教職員組合(日教組)結成。組合員約50万人。
1947年 府中競馬場で3年ぶり日本ダービー復活
1949年 ジョージ・オーウェルの小説「1984年」発刊
1951年 千代の山雅信が第41代横綱に
1951年 「住民登録法」公布
1951年 千代の山が第41代横綱に昇進
1954年 改正「警察法」公布
1962年 新潟・福島県境に奥只見水力発電所完工。発電量36万kwhで東洋一の地下式発電所。
1963年 狭山事件(埼玉県)で上田県警本部長が石川一雄(十文半)は押収した地下足袋(十文三分と鑑定)をはけるから犯人と発表。
1964年 アメリカの世界初の原子力商船「サバンナ」が大西洋へ初航海
1967年 イスラエル空軍機がアメリカの諜報艦「リバティ」攻撃
1976年 日本政府が「核拡散防止条約」の批准書寄託。
1979年 食酢の日本農林規格法が公示施行
1982年 「マイコンBASICマガジン」創刊
1982年 ロッキード事件全日空ルートで元運輸相・橋本登美三郎、元運輸政務次官・佐藤孝行に有罪判決
1986年 クルト・ヴァルトハイムがオーストリア大統領当選
1987年 ベネチアで主要国首脳会議開催
1988年 帝都高速度交通営団有楽町線新富町-新木場間延伸開業と同時に和光市-新木場間全通。
1990年 リニアモーターカー実験線が山梨県ルートに決定。
1990年 全日本プロレス日本武道館大会で故三沢光晴氏がシングルマッチで故ジャンボ鶴田氏に初勝利
1991年 ワシントンでアメリカ出動軍が湾岸戦争勝利を祝う凱旋パレード
2004年 130年ぶりに金星が太陽面通過
2005年 サッカー日本代表がサッカー北朝鮮代表に勝利し2006年FIFAワールドカップ出場権獲得
2006年 探偵業の業務の適正化に関する法律公布
2007年 バーガーキングが日本再出店。1号店(新宿)開店。
2007年 オーストラリアのニューサウスウェールズ州で暴風雨、洪水などで10人死亡。
2008年 外神田通り魔事件。7人死亡、10人が重軽傷を負う戦後最悪の通り魔事件。
2010年 菅直人内閣発足。
2011年 World IPv6 Day実施。
2011年 地上デジタル放送への完全移行を岩手、宮城、福島の3県に限り最大で1年間(2012年7月24日迄)延期を柱とした電波法特例に関する法律が参議院において可決成立。
2013年 スウェーデンのマデレーン王女とオニール王子との結婚式が行われた。
有楽町線は新木場でJR東日本京葉線との相互乗り入れが計画されていた。
だが成田新幹線の中止も絡んで独自に東京駅に乗り入れたため中止となった。
写真は長らく有楽町線の主力だった7000系。
2013年に、みなとみらい線元町・中華街(神奈川県横浜市)にて撮影。
近い将来にはホームドア設置予定。
副都心線でも使用されている。
1974年登場。
登場当時は現在の副都心線を経由して東急東横線に乗り入れることなど誰も予想できなかったと言われている。
彼らには既に廃車が何両か発生してインドネシアに送られた仲間もいる。
更には再来年に17000系投入が予定されており、近い将来に消えようとしている。
ほぼ同時に半蔵門線に、ほぼ同型の18000系投入を予定している。
こうなると、またまたインドネシアに7000系が送られ、8000系もインドネシアに送られるのだろか?
江東区や墨田区、葛飾区、松戸市等は1986年に「地下鉄8・11号線促進連絡協議会」を組み2007-2008年に実施。
その調査の結果、協議会が推進する延伸計画のうち豊洲-住吉間からの段階的な整備を要望する方針を示し、早期事業化を目指した活動が行われ、江東区は経費に充てるため「(仮称)江東区地下鉄8号線建設基金」を設置し、2010年度予算に5億円を計上していることを発表した。
豊洲-住吉間開業時には「豊住線」として6両編成で線内折り返し運転を中心にするというが問題は住吉。
住吉方面からの折り返しが豊洲でできても逆は構造上不可。
豊洲からの分岐線が2011年7月に三セクで整備を担って運営を行う上下分離方式で整備し、豊洲-東陽町間、東陽町-住吉間に新駅計画案をまとめた。
東西線東陽町駅最寄りの東陽公園に有楽町線豊洲-住吉間延伸計画の早期実現を訴える看板があり、実現すれば東西線の混雑緩和にもなる。
野田市では独自に有楽町線延伸や八潮からつくばエクスプレスとの直通案や北綾瀬から千代田線と直通運転等の案を出し、何とか都心部直結を実現させようとしているが現段階では主体も未定であり将来の株式上場を控え有利子負債を圧縮したいため消極的である。
埼玉高速の様な三セク方式や上下分離方式が必要とも言われ、地元の相当な負担は避けられず、野田市の構想は沿線地域の協力や国庫の補助金等を安易に考え過ぎとの批判もある。
運輸政策審議会の答申にないが、つくばエクスプレスの八潮(八潮市)、JR東日本武蔵野線の越谷レイクタウン(越谷市)か吉川美南(吉川市)等を経由する形で野田市まで延伸を検討し、茨城県では坂東市や猿島郡境町、常総市、下妻市、つくば市等が茨城県内延伸を求めている。
問題は、つくばエクスプレス八潮以南に追い越し可能な駅がないこと、京成系や東武系、つくばエクスプレスとの競合、石岡市に地磁気観測所があり直流電化では観測に悪影響を与えることなど。
有楽町線は丸ノ内線の補助線として計画がされた。
丸ノ内線は池袋から更に西進を予定するも有楽町線の計画に変更したため結局は池袋止まりとなったが、現在でも池袋駅には延伸を予定していた名残と思しき形状や構造がある。
2016年だと有楽町線新木場車両基地で積み込んだ荷物を郊外の和光車両基地や森林公園検修区(比企郡滑川町)迄列車で運び、そこから貨物自動車で日本郵便等の物流拠点まで届ける実験を開始し、実験に大手運送会社も協力した。
運転手不足に対応し、貨物輸送をJR以外にも広げる可能性を探っており、都市部などの交通渋滞を緩和し、二酸化炭素排出削減も狙っている。
北海道ではヤマト運輸との協力の下、名寄市の名士バスや士別市の士別軌道、帯広市の十勝バスでも似たようなことをやっていて、札幌市は地下鉄で似たような実験をしたことがあるが採算が取れないという結論も出ている。
1968年には東武が現在の有楽町線に乗り入れ先を変更する旨を都交通局に通知して都営三田線乗り入れをやめた。
都交通局は東急とともに東武に抗議したが結局は「都心部へは遠回りになる」という理由で東急や東武の意向に押し切られた。
東武なら日比谷線を浅草経由にしなかったことが浅草の衰退を招いた影響から池袋経由を希望したためでもあった。
これで浅草の松屋百貨店の売り上げが落ちたともいわれている。
東武や東急からすればよかったにしても逆は不幸だった。
「有楽町線」という名は一般公募で決定。独創的な例は「カンガルー線」などもあった。その由来はカンガルーが有袋動物であり池袋の「袋」と有楽町の「有」の両者を取って並べたものから。
「麹町線」が最多だったようだが「麹」という漢字が常用漢字表にないため親しみにくいからやめ「有楽町線」と「有楽線」の総計が麹町線を上回っていたことから有楽町線になったという。
写真は2002年7月当時の鉾田駅前。
茨城県内では陸の孤島は解消しないといけない。
年間1km辺りの渋滞損失額1億円以上も問題。
車社会が定着していても線路復活が実現した例は複数あり、抜本的大整備で一割以上客を増やした例は多いからあまり難しくなく、道路工事や路面電車の延伸工事、高速化工事、立体化工事、リフレッシュ工事等と同じ様なのと思っていれば良く、途中に建物が少なければ用地買収も復活も比較的容易。
ドイツでは廃線復活の成功を受け廃線復活の可能性がある路線を探して査定を行っていくというが日本は総じてスクラップビルドという方向に転換しようとせず、同じ交通基盤整備として道路に年間数兆も出し、自動車社会助長を進め、車の購入費用や燃費、維持費、税金としてお金を消し続けたなど交通政策が四角四面すぎで従来の路線上での考えでは打開できず新しい外部経営者を入れる必要も考えに入れたのだろうが井の中の蛙だけでは全然良い考えは出ず政府、自治体、民間企業からの出資が必須で、やる気にかかっていて、廃止後の復活は新線扱いとなり原則として踏切を置くことが認めない国土交通省の決まりに触れ、なかなか工事できないことは問題で休止なら踏切云々の問題は無かったし政策的に誤りがあった。
ドイツならギリギリの所で新しい考えを取り入れて線路を復活させている。
合計5000kmに及ぶ500の区間、現在稼働している路線の一割程が廃線になっているにしても廃線復活は集客効果になり、廃駅になった駅舎は民間住宅として売りに出されることもあり、更なる復活に積極姿勢で一早く成功を収めた例がドイツ北部の保養地として知られるバルト海のウゼドム島の路線。
南西部バーデン=ヴュルテンベルク州のベーブリンゲン―デッテンハウゼン区間は路線復活で3倍の集客効果が見られた。
渋滞が無い定刻発車はBRTの大きな長所だが、それが失われてしまう場合もあり明らかに舵取りを誤った。
廃止を考えるより必要だったのは沿線に中高一貫校などを造ること、合理化を突き詰めること、再び官民連携を確かなものにすること、愛好家が様々な将来像を描き、社会や企業に提言できるようして、どんどん声を上げて社会貢献を図ること、高齢者活用、線路等との組み合わせで自転車を積んで移動可能にすることで周辺への足を良くして自転車での行動範囲拡大、何より総合的な地域創出、経済振興のためにも車に頼らず線路を中心に徒歩、二輪車、バス等の交通手段を適時使い分けられる交通機構構築、敢えて観光に頼らない施策、沿線住民や企業等も経営に参加、国や自治体の開発計画への最大限組み入れ、線路との親和性が高いまちづくり、更に企業等に使って貰える様にダイヤ等の改善、線路へ特定財源立ち上げ、周辺住民への意識改革、軌道の最大限強化、列車で宅配便の荷物を運ぶ貨客混載事業実施、企業や自治体等が列車運行を支える株式発行、他社や専門家とで合理化や増収の協議会や委員会立ち上げ、潜在能力の最大限活用、社有財産貸出、新規出資者開拓等による授権資本充足金融機関から安定的に資金調達可能な環境整備などなどだった。
現在は不便になっただけでなく駅から遠くなった地域も多く、公共交通機関が限られるようにもなった。
復活となれば線路空白地帯解消、道路混雑緩和、密集解消、通勤通学圏や商圏の拡大、沿線の活性化や地域振興、交流軸強化、陸の孤島の解消、鹿島臨海線やJR東日本常磐線などの補助機能が出ること、降雨時や積雪時に実用的になり各地域の結束強化、地域の印象向上、知名度の向上、渋滞覚悟等が要る車も所有の必要性が薄れること、地域の象徴にもなること、バスだと信号が多い道路で時間がかかる問題が消えること、地域の人気が出ること、住民に福音を齎すこと、自動車やバス以上の高速運転の実現、実質的な移動時間短縮などなどの効果があり、復活が望まれている。
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